進んで主張せよ : 日英米海軍縮小協定問題意見を求られた添田博士語る
- 日付
- 1921-1-3(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
耶蘇降誕祭の休刊後の英国大新聞が筆を揃えて日英米三国の海軍拡張協定を主張し米紙亦期せずして其の論調を一にして居るが紐育ウォールド紙は更に日本の輿論を聴取するの要ありと大隈侯渋沢子添田博士等民間の有力者に意見を求めて来た是等諸名士が日本の輿論を代表しての返答は外交上極めて重大の影響あるべきは勿論だが之に就き添田博士曰く 「私の所へは未だ何共言って来ないが英米の輿論は新聞紙で見て非常に面白く思って居る併し日本へ意見を求めて来るとすれば日本は此際を利用して是非共軍国主義の濡衣を干かさなければならぬ併し其の返答をする前に先ず英米の輿論の真意を明かにする必要がある英国は米の海軍拡張の為海上の覇権を奪われる虞と戦後の財政困難等から相当に真面目に主張して居るものらしいが米国は彼れ程国際連盟に冷淡で此の問題に熱心な矛盾した態度は余程疑わしい併しウィルソン氏の主張を奉ずる一派の勢力も侮り難いものもあるから何んとも言えぬ要するに英米共其の真意は俄に断ずることが出来ぬ若し其の真意が単に探りを入れるにあれば勿論日本でも余り深入りするの要はないが一応形式的には賛成しなけれ…
言及人物
典拠・外部リンク
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