尊農の先覚を偲ぶ : わが国化学肥料製造の濫觴由縁の釜屋堀に記念碑建立
- 日付
- 1943-12-3(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
我国で最初の化学肥料工場として知られる旧大日本人造肥料釜屋堀工場(城東区大島町一ノ五九)は関東大震災で焼失して以来廃墟となっていたが今度二神駿吉、苫米地義三、岩村一木氏等化学肥料関係者が発起人となって同地に化学肥料創業記念碑を建設すると同時にその敷地を東京都に寄附して産業小公園「釜屋堀小園」とすることとなり工事中、このほど化学肥料創業記念碑が竣工したので一日午後一時半から除幕式を挙行した 東京都大達都長官代理井下公園課長を始め農商省渡辺肥料統制課長、石川化学工業統制会長等が出席 猿江神社宮司が斎主となり修祓の後釜屋堀工場建設に尽力した故渋沢栄一子爵の令孫紀子さん(一三)の手により除幕、次いで祝詞、玉串奉奠の後大達都長官、山崎農商相等の祝辞があって閉式した 旧大日本人造肥料釜屋堀工場は明治二十年渋沢栄一、益田孝両先覚が日本の将来の食糧問題を洞察、当時アメリカから帰国したヂアスターゼで有名な高峰譲吉博士の協力を得て過燐酸石灰の製造に着手、同地に建てたもので今やわが化学肥料工業は世界有数のものとなっておる現状を見るとき感慨深いものがある、明年春同公…
言及人物
典拠・外部リンク
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