或いは休業か : 会社側も已むなく最後の手段を取るかも知れぬという形勢 : 渋沢協調会副会長が出馬してくるという風説 :…
- 日付
- 1919-9-21(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目
![或いは休業か : 会社側も已むなく最後の手段を取るかも知れぬという形勢 : 渋沢協調会副会長が出馬してくるという風説 : 川崎造船所の怠業問題 : [(二八)]](https://da.lib.kobe-u.ac.jp/files/iiif/1/20000/0100106031/103429.tiff/full/900,/0/default.jpg)
説明
神戸川崎造船所の怠業は二十日も依然継続され両々相対峙して譲らず、之れより先各工場長伍長は十九日午後斯くては問題解決を遷延するのみなれば職工側の要求を最少限度に止め改めて社長との折衝を試みては如何という者あり此旨職工側の代表者に通じたるも職工側においては工場長が中間に介在するを好まず、「要らぬお世話」だとて手強く拒絶されたるを以て各工場長は詮術なく依然放任主義を取ることとなり形勢動かざるも職工側にては漸次怠業の意味を了解し二十日朝来動力を発動し多少ながら就業しつつあり只釘打の如き仕上り高に対し懸賞附のものに在りては競争心を起して仕事を励むの懸念あれば就業困難なるが如し又中には間歇的に仕事を為す向もあれど之等に対しては他工場の職工が復業せるものと誤解して苦情を申込むものあり尚怠業の趣旨の徹底せざる模様なるも電気道具機械旋盤工場の如きは機械の運転を緩くし巧に怠業を行いつつあり工場は依然保安委員の手に依り監理せられ前日職工を装いて入場せんとし入門を拒絶されたる刑事巡査は二十日より臨監証を携帯して入場しつつあり 十九日より怠業の千三百名 分工場課長の調停…
言及人物
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