更に秩序を整えて怠業の第三日 : 機械は動き出したが職工は遊んだり一寸働いたり : 夥しい菜ッ葉服巡査 : [(三一)]
- 日付
- 1919-9-21(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目
![更に秩序を整えて怠業の第三日 : 機械は動き出したが職工は遊んだり一寸働いたり : 夥しい菜ッ葉服巡査 : [(三一)]](https://da.lib.kobe-u.ac.jp/files/iiif/1/20000/0100066986/48532.tiff/full/900,/0/default.jpg)
説明
十八日午後以来怠業を決行し松方社長と対峙して其主張を譲らず十九日も依然として就業するなかりし川崎造船所内一万六千の職工は同日夫々賃銀の支払いを受くると共に一日分宛の日給を会計委員に醵出して引取りたるが、同夜職工側なる会計係数名、実行委員二十余名合計三十余名の委員は午後七時を期して湊□新開地料理屋多聞亭に集合し慎重審議する処あり各委員の意見を綜合し結局吾々の現在の状態は純然たる怠業とは名付け得ざる点あり、此際社会の同情を失い会社側の反感を招くが如きは本来の目的と相反すべければとて二十日を期し理想的而して徹底的なる怠業を決行すべく決議をなし夜更けて散会せり。翌二十日は職工一万六千人に取りて実に怠業の第三日目なり、一同は平日の如く定刻全部出動し会社側も亦動力の送電を為したれば、死せるが如かりし工場も漸く一脈の活気を呈し各委員は前夜の議決に従い厳重なる取締を為し、多数職工の軽挙を戒めたり。一方所轄相生橋署にては前日の物々しき警戒に引続き此日も亦水上、湊川、兵庫、各署の応援を合せ六七十名のナッパ服警官を各工場及び附近に入り込ませて職工の動静を視察せしめいた…
言及人物
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