合同主体縮小さる : 東洋汽船の資産一部切離
- 日付
- 1925-3-20(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
昨冬来犬養逓相を中心に渋沢、井上、郷諸氏間で奔走中なる船舶合同問題は本月末までに郵船側の調査殆んど完了して軍役会の審議に基づき解決の途に入る模様である此間の顛末は関係者数人の中にて厳秘に附せられた結果、一部では此事実を誤って否認した向きもあったが、実は二月初旬斡旋役間で審議調査の結果合同の原案を添え郵船に対し至急同問題の解決を促すところがあった由である、なお東洋汽船にも合同の趣旨を改めて通告し、郵船か所要の調査材料は遺漏なく提供せられたき旨伝うるところあり、東洋汽船では之に好意を以て応じ、航路状況、船舶状態、過去一ヶ年の収支計算等万般に亘る調査書を作成して今日までむしろ自ら進んで手渡している有様である、なお茲に注意すべきは今回の右斡旋役の原案によれば 東洋汽船資産全部を郵船に合併するにあらずして汽船所属の土地、建物、埠頭、ホテル等は全然切り離し、郵船に譲渡すべきものは単に船舶全部及び其航権に限定し是を郵船が幾許にて引き受けるかを提案したものである 尤も渋沢子等当初の意見では、両社何れとも意嚮を徴する時は、纏り困難につき、先ず斡旋役側で公平なる合…
言及人物
典拠・外部リンク
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