電灯統一案[社説] : 頗る不満足也 : [東京市に於ける電灯統一問題 其五十四]
- 日付
- 1915-1-24(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目
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説明
過日来噂ありたる電焼統一に関する仲介案なるものは、愈昨日を以て発表せられたり。元来競争は事業の進歩発達を促進する所以の最善の途なりと雖も、電灯の如き性質の事業にありては、其競争が余り極端に走れば、却て其弊に堪ざりことあり。然るに従来市電の外に東電と日電とを有し、三者互に競争し居れる東京市の電灯事業は、今や漸く其弊に堪えざらんとす。故に吾人は今回の電灯統一計画に対しては、必ずしも根本より之に反対せず、買収の条件次第によりては、賛成しても差支なしと思えるなり。而して吾人は此点に関して、昨冬以来市内三電灯事業者の間に立ちて仲介の労を執りたる渋沢男並に森村和田両君の労を多とし、先以て是等の諸君に対して謝意を表せるを得ず。 但し今回発表せられたる謂わゆる仲介案なるものの内容を一通り検覈したる所にては、吾人は遺憾ながら之に賛成する能わざるなり。其理由の第一は肝腎の収支計算の基礎が不確実なる点にあり。仲介案によれば電灯統一後に於ける総収入を一千二百七十余万円と計上しあれども、是は統一当時の収入にあらずして、統一後三年を経過したる時の収入を予想したるものなり。さ…
言及人物
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