互に胸襟を披いて生糸改善の論戦 : 米国の絹業家と日本の製糸家と
- 日付
- 1923-5-5(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
蚕糸業同業組合中央会と米国絹業協会派遣本邦蚕糸業視察団との協議会は予定の通り三日午前十時四十分から丸の内銀行倶楽部で開会米国側からゴールドスミス氏以下十名並に本邦側からは志村、加賀山、本多の三副会長を始め 今井五介、渡辺文七、吉池慶正、工藤善助、芳賀権四郎、矢島栄助、佐野理八、浅田徳則、星野正三郎、小口善重、尾沢福太郎、新井高四郎、富田勘之丞、山田一、平田健太郎、遠藤三郎兵衛、渋沢義一、小島周、小野哲郎、岡田源吉、井上治兵衛、日置保彦、荒川新十郎、上甲信弘、伊坂孝、松浦積 の諸氏出席、志村中央会副会長司会の下に協議に入り正午一旦休憩午後再び開会協議を重ねて同六時散会した、 品質の改善と正量取引実行 先ずゴールドスミス氏は過般来各地方の協議会で為したと同様の事項を又ダウチイ氏は数字に付いて日本生糸の欠点を夫々詳細に説明したが之に対し 工藤善助氏 吾々は生糸の改良と云うことに付ては常に注意を怠らない且つ自分の所で生産した生糸に付て未だ一度も非難を受けたことはない、けれども自分が欧米を漫遊した際も日本生糸の悪化したことを聞かされて居り又只今ダウチイ…
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