焼失生糸善後問題から三調停者手を引く : もっとも新繭資金融通には尽力
- 日付
- 1924-5-23(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
焼失生糸の処分問題に関する調停者渋沢子牧野子及び志村の三氏は二十二日午前十時半から丸の内の銀行クラブの会合して横浜問屋側の希望に斯かる新繭資金の融通方その他に関し種々協議した、即ちさきに勧告案として三氏より提示した共栄蚕糸会社案は横浜問屋側がこれを非常に重大問題視して容易に賛否の態度を決定せず従って容易にその実現を望み難い状態であるけれども他方焼失生糸の損害分担に関する裁定案(問屋側二割製糸家側八割とし火災保険より受領すべき出損金を製糸家側に譲る)は問屋側及び製糸家側の容るるところとなった、しかもこれに関連する銀行債務の弁済方も問屋側と銀行側の協議の末年額二万コオリ以上を取扱う売込み問屋に対しては別個に償還方法を協定すること、二万コオリ以下を取扱う売込み問屋に対しては利息歩合年二歩五厘大正二十年十一月三十日までの年賦償還とし毎年十一月三十日を年賦金及び利息の支払い期日とすること等の条件で解決を附けていく模様である、かくて調停者は大体その役目を終了したものでただ政府から定理資金の供給を受け得られない点に遺憾を感ずるも非常にひっ迫を来たすおそれもある…
言及人物
典拠・外部リンク
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