不正手形賠償問題
- 日付
- 1913-3-6(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
三井物産会社より曩に渋沢男を介して不正手形半額賠償の通告を受けたる被害銀行にありては其後容易に態度を決する能わず今尚逡巡協議を凝しつつある模様なるが今回端なくも手形賠償の所謂真相なるものに就き矢田績氏が談の如く半額賠償書には即ち最後の通告なれば此上何等折衝の余地なく若し不服なれば其銀行に対して一切支払わざるというが如き果して真なりとせば実に被害銀行を侮辱せるの最も甚だしきものにして未だ絶対に法律上の責任無きものとは一般断定し得ざる問題に対し物産側は勝手に法律上責任なきものと断案を下し単に徳義上半額を涙金として恵与せんとし而かも之が最後の通牒にして何等譲歩するの余地なしというに至っては穏当を欠くものというべく奈何に不正手形にて目下窮地に陥れる被害銀行と雖も斯る屈辱的通告を甘受するや否やは頗る疑問とせざるべからず殊に愛知銀行の如き他被害銀行に比し損害額も少なく且つ大株主中には相当の気概を有するもの少からず而かも専門大家の監定により既に確固たる自信を有すというに於ては仮令此際全額を失う迄も恐らく黒白を法廷に争うに至るべき乎要するに今回の物産側の態度に対…
言及人物
典拠・外部リンク
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詳細 - 井深1913-3-6〔大正2年(1913年)3月6日〕
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