焼失生糸善後の解決策立案頓挫 : 政府調停者の要望を容れず
- 日付
- 1924-4-11(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
渋沢、牧野及び志村の三調停者の手もとにおいて考案中であった焼失生糸善後策問題の仲裁案は漸く全部の取まとめがついたのでおそくも十日までには各関係当事者に提示される予定であったが九日三調停者が打揃って右の仲裁案をもたらし閣議のため首相官邸に参集中の清浦首相、勝田蔵相及び前田農相の各関係大臣に会見して同案実行上の基本的要件となって居る低利資金の供給方に付いて政府の諒解を求めた、然るに政府がこれに対し直に応諾しなかった模様なので折角仲裁者一任の方法に依り一時曙光を認められた焼失生糸の損失分担問題の解決もまたもや一頓挫を来すこととなりしかも調停者の一人で中枢をなせる志村氏が産業組合大会のため十日から九州地方へ旅立ち二十四日頃でなければ帰京しないとのことであるから果して何時になって目鼻がつくやら今のところ全く予想の付かぬこととなった 農相語る 低資融通困難と 焼失生糸問題の仲裁者たる渋沢、牧野両子および志村源太郎氏に会見の後前田農相は更に本社記者を引いて左の如く語った、即ちいわく、焼失生糸問題に関する当業者側の事情はこれを聞いて諒とするところ無いではない…
言及人物
典拠・外部リンク
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四月十一日(金) 晴 朝食後、木村氏ノ診察ヲ受ク。別ニ異状ナケレトモ腎臓ニ故障アル疑アリトノ事、尿ノ検査ヲ要ストノコトナリ。 木村、清見同道ニテ目黒ノ土地ヲ見ル。気ニ入リタル模様ナリ。 ハナフオド氏来訪、暫時閑談シテ辞ス。 午後、角筈ニテフランクリン、テニー、ベンニングホフ、ホルタム、千葉其他ノバプテスト派ノ連中ト神学校共同問題ニ付会見、時刻迫リタレバ自分ハ途中ヨリ退席シタリ。 花子、午後五時半、神戸ニ向出発。 夜、秋葉、郷司来訪ス。
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