財閥から見た神戸 (25〜36)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
(25) 武藤の加藤高明評 高橋是清は政敵と公認 毛織王川西清兵衛を俎上に致そうとしたとき、過般来東上して東京方面の実業団を遊説して帰った許りの武藤が「東京における運動の経過を報告したい」といってきた。東京における運動の大要は既に一足先に帰って来た女婿の八木幸吉から「東京商業会議所のお歴々は招待状が金縁でなかったとのタッタそれだけの理由を以て集りが悪かったのは意外の一事であった」とか「西園寺邸に闖入した曰く附の社会主義者が武藤に会見にきた」とか「帝国ホテルの風儀は巴里にも勝るアップ・ツー・デートのひどいものであったが、反面に東京の市中には過激派そっちのけの風体のものを散見すること二三に止まらなかった」とか、動もすれば親父をやりこめんとするの弁舌に油を注いできかしてくれたのだから略分っていたが、東京の運動がいかに武藤の頭に反映したかをしらぬと彼の近状は明かにならないからモウ一回武藤の記述に逆転する。 大阪ホテルにおける彼の報告は小一時間にも達しただろうが、彼が最も感じたのは東京における実業家—その重なるものは中産階級—がいかに政友会に反対してい…
言及人物
典拠・外部リンク
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