停年の春に勇退東大の教授・十博士 : 消える『島薗内科』や生命論でお馴染の永井潜氏
- 日付
- 1937-2-2(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
東大教授のうち昨年四月から本年三月までの間に満六十歳に達し停年申合によりこの三月末限り多年の講壇生活と愛する学生に袂別するのは (医学部)島薗順次郎、永井潜、慶松勝左衛門、遠山郁三 (法学部)野村淳治、中田薫 (工学部)加茂正雄、渋沢元治 (理学部)中川銓吉 (農学部)三宅驥一 の十博士でいずれも多年後進学徒の薫陶と、科学の研鑽に輝かしい功績を残し現に孜々として研究を怠らぬ人々だけに大学の内外から惜しまれている 島薗博士 大学病院の「青山外科」として有名な青山徹蔵博士が眼疾のため辞任したのに引続き今また同病院から「島薗内科」が消えるわけで、教授のヴィタミンの研究はあまりに有名で胚芽米今日の流行は全く博士の力である 博士は和歌山県に生れ、明治三十七年東大医科大学卒業、四十四年ドイツ留学、大正二年帰朝後岡山医専、京大各教授を経て、大正十三年東大教授、昭和八年附属医院長となり今日に至った 永井博士 医学部長の要職にあり生理学の大御所、哲学の蘊蓄も深く冷徹な科学者としてのその人生観は「生命論」□医学と哲学□「生物学と哲学との境」「人生論」など…
言及人物
典拠・外部リンク
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