早大維持員中に辞職者出でんか : 六学生の復校は否決す=昨日の維持員会にて決定せり : [早稲田大学の紛擾]
- 日付
- 1917-12-17(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目
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説明
早大騒動の際退学処分を受けし学生六名の復校問題につき昨日午前九時より早大維持員会開かれ渋沢男大隈信常、混田文次郎、徳永博士、平沼淑郎、内ヶ崎作三郎宮田修(外二名)の諸氏出席協議する所あり結局信藤外七名の停学生の復校は可決されしも六名の退学々生の復校は否決されたり否決の理由は別項西岡氏の談話によってもこれを知るを得べく現理事は遂に旧理事の傀儡に過ぎざるか之が為め維持員中に或は停職る者出づるずやも知れずと伝えらる 大隈侯の同情も甲斐なかった 実に意外である 西岡竹次郎氏の談 右に就き学生の復校運動に奔走中なる旧革新団の西岡竹次郎は曰く「実は先月の二十三、四日頃から殆ど連日五理事の個人訪問をやり退学々生の復校を懇請した、五理事共個人では学生に同情し復校に賛成して置き乍ら理事会になると一向話が纏まらぬ、余りの事に私は某理事に向ってその理由を糾した末高田博士を始め前幹部の市島、坂本、田中(唯)浮田の諸氏に私と六人の退学々生とが詫びを入れねば復校は出来ぬとの事であった今更高田博士其他へ詫に行くことは自殺すると同様故十三日午後更に大隈侯を訪ね復校の事をお…
言及人物
典拠・外部リンク
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是日、日米両国関係者合同主催、遣米特派全権大使石井菊次郎及び随員の帰朝歓迎晩餐会、帝国ホテルに開かれ、栄一出席して歓迎の辞を述ぶ。
詳細 - 井深1917-12-17〔大正6年(1917年)12月17日〕
十二月十七日(月) 中学部試験前臨時休業。 ライク氏ト共ニ村井銀行麻布支店ニ赴キ、ブリチシユ公債額面壱千五百磅ヲ担保トシテ金壱万円ヲ借入ル。 神学部三年級ニ説教者ニ常識ナルコトニ付一場ノ話ヲナス。 午後二時、総務局理事会アリ。 五時ヨリ青年同盟委員会出席ス。 北浜銀行支店ヘ愈々来二十日土地購買買取引ヲ為スベキ旨ヲ電話ニテ告ゲタルニ、少シク故障生ジタル故ニ延期ヲ乞フトノ回答ナリ。
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