佐野学長元の枝へ
- 日付
- 1931-6-24(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
佐野東京商大学長が辞表を出したのは共産党事件記事解禁の翌日五月二十二日であった、これから丁度一ヶ月留任運動でゴテついて、渋沢老子爵まで煩わし、結局後任者の見つかるまで留任ということに決まった。学長排斥の学校騒動ばかりを聴くだけに近頃嬉しいような感じがする。 佐野君が辞表を出した動機は何といっても三男英彦君の共産党事件の連座である、もとより子息が刑事々件のために国宝に触れたからといって破廉恥罪ならいざ知らず、そう一々親たるものが責任を感じなければならぬということであれば、人の親たるものたまったものではない。佐野君もその位は考えていたに違いないが、偶々持病である心臓病が最近著しく昂進し、肉体的に学長の劇務に堪えられないというところに、精神的ショックを受けて固き辞意を表明したのであった、一つ橋の塵埃を避けて公園のような国立に校舎を選定し、その移転式も済ませば佐野君も本望。十七ヶ年の責任者としてこの仕事も一段落であって見れば公平に見て将に学長辞職の潮時といわねばなるまい。 [写真あり 省略] 佐野君が辞表を出すと、教授会は佐野学長の退席を求めて…
言及人物
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