漁業発達に就て
- 日付
- 1921-1-19(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
吾国産業の趨勢は兎角他より遅れ勝ちの譏を免れなかったが、近来各事業も漸次改良が企てられ、□進の形勢にあり、漁業も稍面目を改め掛けたが、併も漁業の発達は他の事業に比し其の加速度寔に遅々たるものである。 此の原因を考えるに漁業は元来海上の事業であるが為め、其方法、其の困難、其の憂慮する処のものを他から絶対に推測を許されず、彼の農業の様に学者が実地検□を暫々すると云う事が不可能である為め自然研究も遅れ、引いて改良策も講ぜられず、従って世間の同情も薄く、為めに永らくの間原始的な方法に寄って事業を為しつつあったのが尚、現今にも慣例となって兎角其の発達が面白からぬ状態にあるのである。又漁業は所謂「板子一枚下は地獄」と云う危険を伴っている為め、生命の保全を思う者は折角好事業なるにも係わらず、これに担るの決心を渋らせ、漁業家も生命を的の事業と心得て其の生活の向上、発展を省みなかった故である。併し乍ら此の漁業は吾国に於ては最も需要の地位を占めるもので、殊に日本人種如何なる種類の魚類をも好んで食する国民は稀である。随って之が発達如何は直に我国の食料問題其他の解決に…
言及人物
典拠・外部リンク
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