外人土地法に就いて
- 日付
- 1925-3-17(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
此問題に関する議論は曾て明治三十三年春季の頃全国中にぼっ発し東京にては渋沢子爵大阪にては原敬氏等率先して盛に開放論を主張せられ何れも実業界新聞界の有力者なりしを以て各地何れの方面にても僅々二三子を除く外幾ど約したるが如く之に賛同する者のみなりしが其理由とする所種々多々なりし中あだかも甚しく資本の窮乏を告げつつありたる際なりしを以て専ら外資の輸入策を主要とせられたることは今尚世人の記憶する所ならん其後明治四十三年の議会において政府案として之を提出せられ遂に両院とも安々と通過していよいよ法律の正条と為りて発表せられただ其実施の期を後日の勅令にて定むる旨の附文を加えられたるままなりしが大正九年の議会において正に之を実行せんとする法案議題と為り将に反対論を提唱したれども其反響太だ微弱なりしが将に議決に垂々とする間際に至り幸にも他の問題の為に議会解散となりやや安心することを得たる次第なりし然るに今日経済上の混乱よりするも思想の動揺よりするも国防上よりするも風教上よりするも其他何れの方面より視るも当時の事態より尚お層一層外国人に対して我が帝国の土地所有権を与…
言及人物
典拠・外部リンク
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三月十七日 火 美晴 寒 午前八時 起床、別室ニ抵リテ洗面シ襯衣ヲ改メテ後朝飧ス、畢テ日記ヲ編成ス、本日ハ 東京 ヨリ来人ノ約アルヲ以テ準備ヲ為ス、 午前十時 滝本 為三 氏来訪ス、氏ハ 米国 加州 ニ於ル在米日本人会ノ書記長ニテ、客年 十月 本会ノ使命ヲ帯ヒテ出京シ、爾来種々ノ援助ヲ与ヘテ 横浜正金銀行 及住友銀行ノ了解ヲ得、明日出立帰米スルニ付来リテ告別スルナリ、依テ会見シテ詳細ニ日米関係委員会ノ趣旨及今日迄ノ助力ヲ示シ当方ノ衷情ヲ了解セシム、殊ニ 牛島 会長ニ対シテ余ノ意志ヲ伝達セシムル事トス、且、文雅上ノ来書ニ付テモ相当ノ回答ヲ為ス、午飧後 東京 ヨリ 武之助 及 明石 両夫人来ル、又、 白石 喜太郎 重要ノ来書ヲ持参 ス、依テ回答書ヲ裁シテ之ヲ返付ス
詳細 - 井深1925-3-17〔大正14年(1925年)3月17日〕
三月十七日(火) 晴 真澄ハ四五日間休養ノ為、鎌倉姥ヶ谷ノ稲澤氏ニ赴ク。 午後、小幡信愛、数日前帰朝シタル赴ニテ挨拶ニ来ル。
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