当面の財政経済問題
- 日付
- 1919-1-27(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
予算は読んで字の如く予想の計算であるが、分けて来年度の予算は大いなる予想の上に編成せられている。歳入の見積高は大正六七年度の収入を基礎とせるが故に、今後経済界の景気次第では実収入上に違算無しとも限らぬ。又歳出に於ては臨時事件費も臨時軍事費も総て本年度の予算を基礎として計上せられいるが、是も極めて漠然たる余想に基く計算に過ぎぬ。 故に来年度の予算に現わるる公債募集計画にしても、愈々何程の募債を必要とするかは、来年度に入ってからで無くては当局者と雖も正確なる見込が立たぬのであるが予算上の計画としては少からぬ金額である。臨時国庫証券の三億円以外、臨時軍事費其他に於て更に三億余の募債計画は経済界の趨勢に鑑みて実行難の危険が無いとは言えぬ。議会に於ても亦此の質問で提出されたのであるが、高橋蔵相は之に答えて、其れは見込の相異であると弁じた。 募債の成否は如何にも見込の相異であるが、然し局外者としては成否孰れの見込が勝っているかを考慮して見たい、来年度予算案の価値を決定するものは畢竟するに此の募債計画の成否如何である。而して其の結果が経済界に影響する所亦少…
言及人物
典拠・外部リンク
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- 日記1919-1-27一月二十七日
一月二十七日 月 曇 寒 午前七時 起床、入浴シテ、朝飧ヲ食ス、後、 埼山 比佐衛 氏及同伴《( 崎山 比佐衛 氏)》ノ二氏ト談話ス、 水崎 基一 氏来リ 米国 ニ於テゲリー学校視察ノ状況ヲ縷述セラル、 栗田 宗三郎 氏来リ話ス、 午前十時半 東京商業会議所 ニ抵リ、理研ノ評議員会ヲ開キ要件ヲ議シ、後、一同ト午飧ヲ共ニス、 午後二時 東京府 ニ抵リ 井上 知事ト会話ス、 三時 事務所ニ抵リ 吉池 氏其他ノ来人ニ接ス、 四時 修道学院ニ抵リ、 高野 氏ニ会見シ撃剣ヲ一覧ス、 五時半 築地 精養軒 ニ抵リ、 太田 信次郎 氏及 深川区 有志者《( 太田 信治郎 氏)》ノ開催スル水害排除協議会ニ出席ス、夜 十時 帰宅、後、日記ヲ編成シ、新聞紙ヲ一覧ス (欄外) ■■[img図]〓■理研評議員会ニ於テ午飧、食卓上一場ノ意見ヲ述フ、修道学院ニテモ学生ニ対シテ訓示ヲ為ス、 深川 有志者ノ開催スル会合ニ於テモ意見ヲ開陳ス
詳細 - 年譜1919-1-27第31巻
是日栄一、太田信次郎の招待による築地の精養軒に於ける、深川区風水害防備に関する協議会に臨み、意見を述ぶ。
詳細 - 年譜1919-1-27第47巻
是日、東京商業会議所に於て、当研究所評議員会開かる。栄一出席して、寄付金募集に関する報告をなす。
詳細 - 井深1919-1-27〔大正8年(1919年)1月27日〕
一月二十七日(月) 授業如例。 午後、くに子来ル。高木盛之輔氏大病ニ付、明朝出発、見舞ニ赴クトノコトナリ。且養嗣子ノ件ニ付話アリ。高木岩雄ハ断然謝絶ノ赴、加藤寛六[郎]氏ヨリモ話アリタリトノコトナリ。
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