社長辞職には満足 : 併し十一名の解決を懸念 : 郵船騒動大団円と同交会
- 日付
- 1924-10-16(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
郵船伊東社長以下各重役が十五日の重役会において連袂辞職したことは第九回記載の通りで、かくて郵船騒動の大団円を結ぶことになったが、同交会側では社長の辞職は社内覚醒の上に一大進歩を劃するもので、今度の粉議が決して無駄ではなかったと悦んでいる一面馘首者に対する何等の報告がなかった点に多少不安にかられているが、大体において社長辞職に依って満足の模様である、大阪支店でもこの報告に接し、これも一に渋沢子と社外重役の斡旋の結果だと感謝の意を表していた、同支店植村副長は語る 渋沢子と同交会幹部との会見の際は何等具体的の内示はなかったが、子は会員の云い分を聴きとった上ただ一言『よし君達のいうことは判った、兔に角みんなの辞表は取り下げろ』といわれた、その力強い言葉に感激し無条件解決を告げたものであるが社外重役の間において本問題に関して適当な取扱方があるに違いないとの信念は懐いていた、果せるかな二週間後の今日社長の辞職を見たことは国家的大会社の一大進歩といえましょう、続いて起る問題は馘首者の取扱いで、それには体面論やらいろんな問題が絡って解決方法についてもかなり考え…
言及人物
典拠・外部リンク
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