郵船東汽合併の条件を正式に提示 : 渋沢子郷男井上の三斡旋役が十八日両社重役を招き
- 日付
- 1926-1-20(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
日本郵船、東洋汽船両社の合併問題は既報のごとく安達逓相の提案に係る北米航路経済新船の建造運航に関し、日本郵船が政府の補助案で運航可能との回答をなせるに依り旧冬来 斡旋役の一人たる井上準之助氏が主として東洋汽船側との折衝を重ねたところ、浅野東汽社長も合併の根本案に賛意を表したので斡旋役たる渋沢子、郷男、井上氏等は十八日午前十時半丸の内銀行クラブに日本郵船、東洋汽船両社重役を招いて、正式に合併に関する調停条件を提示した、同日は郵船側から白仁社長、武田大谷両専務、東洋汽船側から浅野社長、白石、浅野(良三)高野の各取締役出席し、先ず最初に郵船側が三斡旋役から調停条件を聴取したに次で、別室に控えた東洋汽船側が別個に同様条件を聴取し、何れ両社とも重役会並に関係方面の 諒解を求めた後三斡旋役の手許まで回答すること、合併条件に関しては絶対秘密を守ることを約して正午散会した、従って合併調停条件の内容は前記のごとく秘密厳守を申合せられたるにより詳細不明なるも仄聞するところによれば、その合併提出物件は東洋汽船現在の所有財産中 一、北米航路サンフランシスコ命令線の天洋…
言及人物
典拠・外部リンク
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