郵船東汽合同中止か
- 日付
- 1924-3-1(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
郵船東洋汽船の合同条件たる郵船の三十万株提供案につき郵船では二十九日重役会を開き協議する処あったが、結局否決されたので伊東社長から渋沢子に通告する筈であるが、一方株式に代る社債提供案に就き渋沢子より東洋側の意嚮を聴いた処具体的の数字を示されていない以上話の進めようもなく殊に東洋汽船としては社債で郵船に引取られることを好まぬとの態度である、更に株式社債半々提供案等も考えられているが、第一折合条件の点で問題にならぬ模様で遂に一時合同談を打切らねばならぬ始末となった、シカモ郵船側がこの問題に気乗していぬことは事実で、伊東社長も藤村逓相からその真意を叩かれて問題の解決に尽力すると答えたものの、重役会で手硬い反対に遭っては如何とも出来なかった、また東洋汽船でも同日重役会を開き最後の肚を決めて渋沢子に回答する心組みであったが、郵船側の決意の報を得て各重役の意嚮も合同を中止して事業を続行するの外はないと決した模様である
言及人物
典拠・外部リンク
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三月一日(土) 晴 午前、授業如例。 午後三時、フエルプス氏方ニ往、青年会同盟会館再建築ニ付打合会ヲ開ク。丸ノ内比日谷附近ニ合同会館ヲ建ルノ議アリ。 午後五時ヨリ生命保険協会クラブニ於ケル山本邦之助氏ノ招待ニ依ル晩餐ニ列ス。植村、小﨑、元田、平岩、千葉、石川、松野等十数名ナリ。山本氏、東京市青年会総主事ヲ辞職シタルニ付、在職中受ケタル後援感謝ノ為ナリトノ事ナリキ。山本氏ハ青山学院高等部実業科々長ト成タリトノコト。
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