焼糸補償案決定 : 新繭資金も自然片付く
- 日付
- 1924-5-20(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
焼失生糸損害金の補償方法については過般来問屋と銀行業者との間に折衝中であったが十九日横浜蚕糸貿易商同業組合委員渡辺、渋沢、小野の三氏銀行側と会見の結果左の如き回答に接し委員は更に組合員に対して夫々報告するところあり、茲に同問題も漸く最後の解決を見るに至った即ちその結果案は 一、一箇年の生糸取扱高二万梱以下の問屋に対しては八箇年年賦、利率年二分五厘とす 二、それ以上を取扱うものに対しては同じく八箇年年賦とするも利率は相対的に解決を為すこと に決定したのであるが標準を二万梱と限定した理由は大小問屋に依ってその資産状態などを異にするので比較的支払能力の薄弱なる小問屋に対しては右協定率に基いて一般的に解決を為すこととなっているが取扱高の多い大問屋はそれだけ利潤も多く従って銀行側は同一利率を不当とし個別的に解決を主張しているので多少条件の不利を免れぬようである而して同問屋の解決と共に銀行側も当所の声明通り愈新資金の貸出に着手すべく懸念された新繭資金問題も之れに依て一先ず一段落を告げた訳である
言及人物
典拠・外部リンク
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