この先が尚心配な米の値 : 楽観首相の舌の根乾かぬに此始末 : 罪は外米の供給不足 : 農大教授 稲垣博士談
- 日付
- 1919-5-30(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
原首相が『米価も幸に低落し』と言った舌の根の未だ乾かぬに定期米はグングン奔騰し二十八日更に大暴騰を告げて当限三十七円十六銭六月限三十六円七十九銭、七月限三十五円七十九銭となり当限は一円六十一銭、先限も一円十銭方の高値を呼び先限の如きは今年に入っての最低三月に較べて八円方の暴騰を示したが白米も従って暴騰し三等米すら円に二升という昨年十月の米暴動当時に劣らぬ箆棒値となった、原内閣の所謂自然主義の下に米価は此先什うなって行くであろう、農大教授稲垣博士は語る『梅雨期には米の貯蔵が困難な為に例年梅雨期を控えての此頃は概して米価が低落すべきものであるのに却って暴騰したことは如何にも不自然であるが之は声のみ徒に大きかった外米の輸入が其実思った程輸入されない罪である、此形勢を以て端境期にも近けば愈暴騰して夫こそ由々しき事態を生みはすまいか、其上心配なことは講和の舞台が兎も角平和の方へ近づきつつあることである殆ど絶食の状態にある独逸に講和成立と共に食糧が流れ込むとすれば先ず目指されるのは印度方面をかけての東洋の米であるが然うなった暁には然らでだに不足な外米は全く輸…
言及人物
典拠・外部リンク
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五月三十日 金 晴 暖 午前六時半 起床、入浴、朝食例ノ如クシテ後、 八時 家ヲ出テ事務所ニ抵リ、小倉製鋼所ノ事ニ付一方ハ 山田 昌邦 、 大倉 喜八郎 、 赤松 、 戸村 ノ四氏、一方ハ 浅野 総一郎 、同 良三 、 鈴木 紋次郎 、 金子 某ノ四氏ヲ会シテ紛議ノ仲裁ニ努ム、蓋シ同所ノ売買譲渡ニ関シテ両者間ニ意見ヲ異ニシ種々ノ違却ヲ生セシ結果、甚シキハ訟訴ニモ立至ルヘキ有様ナ ルヨリ、客月以来中間ニ介在シテ調停ニ尽力中ナリシカ、此日ヲ以テ両者ヲ会合シテ各自ノ意見ヲ陳述セシメ相譲歩シテ協議セシメント欲セシナリ、此日ハ双方共ニ各其意見ヲ充分吐露セシモ協定ニ至ラス、決局、余ノ仲裁ヲ俟ツ事トシテ 大倉 氏ト協議シテ其立案ノ事ヲ引受ケタリ 正午 、 井上 侯爵邸ニ抵リ午飧会ニ出席ス、和泉橋病院ノ事ニ係リ、 三井 ノ人々及医師数名ノ会合ナリ、畢リテ 三時半 又事務所ニ抵リ米人 ウード 氏ノ来訪ニ接ス、 中島 久万吉 、 広橋 嘉七郎 其他数名ノ来客アリ、 六時 頃ヨリ同族会ヲ開キ夜 十一時 帰宅ス
詳細 - 井深1919-5-30〔大正8年(1919年)5月30日〕
五月三十日(金) 授業如例。
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