為替銀行進行 : [為替銀行の設立 其七]
- 日付
- 1913-10-14(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目
![為替銀行進行 : [為替銀行の設立 其七]](https://da.lib.kobe-u.ac.jp/files/iiif/1/20000/0100136394/146252.tiff/full/900,/0/default.jpg)
説明
渋沢男、中野武営、朝野総一郎、今西兼二氏等の企劃に係る為替銀行は其後内外経済界の事情に鑑み暫らく時機を見送りつつありたるが此程愈々大蔵省の認可を得たるを以て十日発起人会合今後の進行に就き協議したるが右に就き今西氏は記者に語って曰く「元来吾人の企画せる為替銀行に対しては世間幾多の誤解を抱ける人少からず中にも (一)政府の補助なくして単独に斯種事業の成立し得るや否や(二)正金銀行の業務と衝突することなきや如何 と云う二個の疑問は比較的経済事情に通ずる実業界の人士の口より往々見聞する処にして吾人発起者の甚だ遺憾とする処なり蓋し此種の疑問は畢竟我が為替銀行設立の目的を熟知せざるより来る誤解にして強ち無理もなきことなり抑も我が海外出稼民が多年最も痛切に不便を感じ来れるは彼等が労働に依って蓄積したる資金を如何に保管し又如何にして安全に故郷家族の手に送金すべきかの二点にして此二の不便は仮令正金銀行在りと雖も世界の隅々に支店を分置せざる限り到底彼等の希望を満足せしむべくもあらず爰に於てか彼等は余儀なく土地の外人銀行に資金を預託し送金には有ゆる不便と不利を忍ばざ…
言及人物
典拠・外部リンク
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