失業救済法
- 日付
- 1919-1-8(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
休戦の結果今にも不景気風が襲って来ると云って騒いで居る向が多いが開戦五年の其間異常の好況に慣れて来た者の目からはそれは多少の反動もあり殊に戦時当て込みの商工業なり外国品の輸入杜絶を僥倖し得た化学工業の当事者は低廉な欧米品の輸入に圧倒されて了うがも知れない 然し戦争のお蔭で好景気続きだった紡績会社が其反動として不景気に襲われるだろうという事(こういう事をよくいう人があるが)は断じてないと信ずる杞憂論者は欧米各国の工業復員と保護貿易の結果から自然吾国の製品は戦時開拓し得た南洋、印度、南米などの新市場から排斥されるだろうというのだが吾輩は決してさる憂いを抱かないと云うのは戦時中綿製品は主として戦争材料にのみ使用されて家庭用には一切用いられて居ない、愈平和となれば綿製品は必ずや之等一般家庭の需要を見るべく従って戦後三箇年位は今日の好況から下るできものとは思って居ない此他の経済方面も亦然うで世間で騒ぐ程に急激な不景気は来ないものと信ずる 然しながら戦時中特に拡張された工業が幾分衰退を来す事たけは明かで此結果として一時失業者を多数に出すかも知れない戦後の社会…
言及人物
典拠・外部リンク
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- 日記1919-1-8一月八日
一月八日 水 快晴 寒 午前七時半 起床、直ニ入浴シテ、朝飧ヲ畢ル、後、仙台人 阿部 □次 氏《( 阿部 億次 カ)》ノ来リテ請願ヲ聞キ、丁寧ニ説諭シテ其請ヲ謝絶ス、又、雑誌者《(記脱カ)》ノ講和ニ関スル意見ヲ問ハルヽニ答フ、 吉田 清太郎 氏来リ講和会議ニ対シ思想界ヨリ派出アラン事ヲ請ハル、 安達 憲忠 氏来リ養育院ノ事ニ付 長谷川 氏トノ会話顚末ヲ告ク、 穂積 歌子 、 市河 晴子 等来訪ス、午飧後、家ヲ出テ 一時半 原 首相ヲ官邸ニ訪ヘ船舶及製鉄事業ニ付談話ス、且、昨日 西園寺 侯トノ会見ヲ告ケ、東北振興ニ関スル拓殖会社設立ノ事其他ヲ談ス、 三時 埼玉学生誘掖会 ニ抵リ軍人トノ接見会ニ出席ス、一場ノ演説ヲ為ス、 午後五時 事務所ニ抵リ 植村 氏、 白岩 氏其他ノ来客ニ接ス、 六時 銀行倶楽部 ニ抵リ、東亜興業会社ノ開催スル支那人 葉 氏ノ招宴ニ出席ス、 団 琢磨 、 林 権助 、 阪谷 、 添田 氏等ト種々談話ス、 十時 帰宿、帰宅後、新聞紙ヲ一覧シ日々送リ来レル雑誌類ヲ読過ス、 十二時 過就寝ス
詳細 - 年譜1919-1-8第45巻
是日栄一、埼玉同郷会の請に応じ、当会に於て演説をなす。
詳細 - 年譜1919-1-8第54巻
是日栄一、総理大臣原敬を官邸に訪ひ、東北振興のため当会社設立に関し協議す。然るに、恰も同一の趣旨目的を有する別個の会社設立の計画あり、政府当局の意に従ひ、両者合同による開墾会社設立のこととなる。
詳細 - 事業1919-1-8東北拓殖株式会社
是より先、当舎は、当所の目的たりし牧畜業及び之に附随の牛乳販売等の事業を廃し、僅かに植林及び玉蜀黍等の耕作により、其土地を維持す。是日栄一、益田孝と共に、実地検分をなす。
詳細 - 井深1919-1-8〔大正8年(1919年)1月8日〕
一月八日(水) 新学期ヲ始ム。神学、高等両学部授業ヲナス。 三光舎ニ命ジ、新セベレンス館並ニ食堂電燈設置ノ予算ヲ提出セシム。
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