田中孝子女史に悩まされた温情主義の本尊気焔万丈 : 労働会議に於ける裏面の不統一を論じ労働組合の凋落と弊害を挙げて資本主…
- 日付
- 1920-1-25(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
本月十三日諏訪丸にて帰国した国際労働会議使節資本家側代表委員武藤山治氏は夫人同伴二十三日午後七時東京駅発の列車で帰阪した氏は車中往訪の記者に向って万丈の気焔を吐いた 『今度華盛頓に行った一行は何しろ政府側、資本側、労働者側などとあらゆる階級を集めて一寸我国の小縮図と云った形で渡米前の事情から推して見ても何うしても一騒動持ち来すだろうと予期していた、向うでは片山某等の 社会主義者が華盛頓まで出掛けて来て会議前に過激な全然日本の政府及資本家を誹謗した ビラを撒くやら委員会には例の田中孝子が鎌田正使の主意書朗読から脱線するやら、労働顧問佐藤、大島等の運動やらで何うなることかと思ったが彼等も追々向うの事情を知り又向うも此方の事情を知って終にはそんなことは問題でなくなったが、特に田中孝子だけには弱らされた、彼女は二年程先きに日本に帰って来て日本の工場などいうものを全然知りもせず 渋沢男の関係から委員となり殊に妊娠中で無暗と亢奮してあんな脱線までやったのだが、あの女は政府委員でもあったから実際迷惑した』 と先ず田中孝子を頼りに痛罵してから更に転じて 『一体初…
言及人物
典拠・外部リンク
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