三井弁償と鴻銀
- 日付
- 1913-1-12(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
三井物産不正手形事件に由って蒙りたる四日市、愛知、十六銀行等の損害は昨紙所報の如く全然三井物産会社に於て弁償する事に内決したるが是れより先三井物産に於ては予審の調査其他により飽く迄法律上の責任なきを確めたるも到底徳義上責任を免かる能わざるを自覚し仲裁者の斡旋を竢って円滑に局を結ばんとし又渋沢男爵等も愛知其の他の意向を確むる処ありたるが茲に三井物産は主義に於て全責任を負うに決し延滞日歩、附帯諸経費を除き手形金額のみ三井物産より支払うに内定したるなりと云う然れども鴻池銀行との間には別段の内約を取結び三井の弁償は表面の支払に止まり内実は鴻池の全損となるものの由之れに関し鴻銀島村理事は曰く余は未だ三井の弁済云々に付ては初耳なり本行と三井物産との間には昨年来懸案の儘解決を新春に持越し其内三井側より何とか挨拶し来る段取りとなり居れるも未だ先方より何の交渉もなし由て余は未解決の儘なりと信じ居るも然し目下原田専務は東京に滞在し居れるを以て直接三井物産との交渉を開き居れるやも知れず云々と遁げ居たり
言及人物
典拠・外部リンク
人手で照合した確定エンティティを外部 LOD で参照できます
同日の他の記事
1913-1-12 の他のソース・他のエントリ
- 日記1913-1-12一月十二日
一月十二日 日 晴 寒 午前七時 起床、直ニ半身浴ヲナシテ後朝飧ヲ食ス、 小熊 真六 氏来話ス大学々生数名、昨夜来一泊シテ朝来種々ノ談話ヲ為ス、 午前十時 堀切 善次郎 氏来訪ス、 十時四十分 新橋 停車場ニ抵ル、皇太后陛下 沼津 離宮ヘ行啓ノ為メ停車場立錐ノ地ナシ、 十一時 発車、大船ニテ午飧シ、 午後一時 頃 国府津 ニ着ス、先ツ老公ヲ訪ヘ種々ノ談話ヲ為ス、後、 大隈 伯ヲ其別邸ニ訪ヒ、更ニ 森村 翁ヲ其隣邸ニ訪問ス、 午後四時五十分 国府津 発ノ汽車ニテ 五時 過 大磯 着、長生館ニ投宿ス、 竹田 氏来訪ス、夜飧後雑誌ヲ読マシメ又日記ヲ編成ス
詳細 - 黒田1913-1-12一月十二日 日 晴 (不迎庵日誌)
一月十二日 日 晴 (不迎庵日誌) 矢張夜ノ十二時過マデ仕事セリ 漸ク大体ノ着色ヲ了ヘタリ 明日ハ出来ル丈補筆スル積也 午後三時頃磯谷氏外箱ヲ持参シタレドモ寸法ヲ違ヘタルニヨリ直ニ近所ノ指物師ニ命ジテ別ニ一個ヲ製造セシム 磯谷氏総テ是等ノ指図ヲナシ晩餐後七時過去レリ 一昨十日新設セラレタル電灯ノ下ニ夜ナベヲナシタル以来昨日モ今日モ啓運寺ヘハ行カズ
詳細 - 井深1913-1-12〔大正2年(1913年)1月12日〕
一月十二日(日) 神田青年会館ニ於ケル故原誼太郎氏葬儀ニ会葬シ、基督教青年会同盟ヲ代表シテ吊詞ヲ読ム。 帰途、真野父子ノ家ヲ訪問ス。 片山夫婦、ゆき子ヲ連レテ来ル。
詳細
関連リソース
言及人物・場所が共通するエントリ
新聞1944-4-21繭・生糸標準価格決る : 繭は九十掛(十五掛引上げ)生糸は千三十八円
詳細
新聞1944-6-3統制会の変貌から全産連、経連の関係微妙 : 経済断層
詳細
新聞1944-6-30学徒動員 工場数と睨合せて運用に機動力 : 軍需・文部省委員視察の結論進言
詳細
新聞1943-5-6三社(三井、三菱、住友)に配合吸収 : 中小倉庫業者企業整備
詳細
新聞1943-5-25雄大規模で推進 : 関門倉庫の整備拡充
詳細
新聞1943-12-3尊農の先覚を偲ぶ : わが国化学肥料製造の濫觴由縁の釜屋堀に記念碑建立
詳細
新聞1942-5-16首脳に適材を据え業態別に十統制会 : 戦時金融強力な自律へ : "金融統制会"全貌
詳細
新聞1942-5-20民族研究所を創設 : 大東亜建設の基本的工作
詳細
新聞1942-5-20共栄圏内各人種の台帳作成 : 民族研究所七月店開き
詳細
新聞1942-5-21「民族研究所」創設 : "共栄圏"民族政策の土台に
詳細
新聞1942-8-22「民族学協会」誕生 共栄圏の振興、発達に寄与
詳細
新聞1942-9-24小売業者資産評価三十種に基準決定 : 商品、什器等は何れも時価
詳細