日米紛議の行司役渋沢男は語る : 『両国親善の上にもと引受けた』昨夜米大使が晩餐会を開く
- 日付
- 1919-5-16(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
渋沢男は今回米国臨時船舶建造財団からホルン中佐の後任として紛議の仲裁々段者に委任された この役目は例の米国から日本の諸造船所に註文し目今建造を急ぎつつある三十隻の船舶取引に関し米国側と日本側の間に紛擾の起った場合これの仲裁者として一面その理義を明白に裁断して解決を与うる行司役とも謂う可きであるこの光栄ある日米親善の楔とも見る可き大任を快諾した渋沢男を歓迎の意味で主賓に来朝中の桑港商業会議所副会頭リンチ、アレキサンダァ両氏の送別を兼ね米大使主催の盛大なる晩餐会が十四日夜大手町の銀行集会所で催された、燕尾服に病後とも見えぬ豊かな体を包んだ渋沢男は記者に語る 『この話は最初米大使館附海軍武官ホルン中佐が任命されていたので氏が今回帰国と共に辞任した結果モリス大使から熱心に推薦を受けたので不肖乍ら日米親善の上にもとお引受した様な訳で私は米国側にしてもそう無茶苦茶な事は申出でまいし日本の造船界の人々も皆立派な方々だから決して紛争が起ろうとは考えていないが若し万一にも事の間違の生じた場合には飽迄も円満主義で解決がして行き度いと思っている』
言及人物
典拠・外部リンク
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- 日記1919-5-16五月十六日
五月十六日 金 晴 軽寒 午前六時半 起床、昨夜来汗多ク出テシニヨリ入浴セス、洗面直ニ朝食ス、 堀江 伝三郎 氏来ル、王子倉庫会社ノ事ニ付 田中 ニ依頼ノ事ヲ訓示ス、 中村 杏堂 、 大井 光治 来、実業公論ノ事ニ関シ依頼アリ、 午前九時半 兜町 事務所ニ抵リ 内田 嘉吉 氏ノ来訪ニ接ス、 渋沢 義一 氏来リ生糸売込ニ付テ会社設立ノ一案ヲ談ス、更ニ義一ヲ 内田 氏ニ紹介シテ熟議セシム、 午前十一時 日本女子大学 ニ抵リ 成瀬 校長ノ墓参ヲ為ス、又、 米国 大使ノ令妹来観ニ付会見シテ学校ノ経歴ヲ話ス、 午後一時 事務所ニ於テ海底電線架設会社ノ事ニ関シ委員会ヲ開ク、 内田 氏外八九名来会ス、 午後三時 床次 内務大臣ヲ訪ヘ労働問題ヲ談ス、 北沢 新次郎 氏来リ友愛会ノ事ヲ談ス (欄外) ■■[img図]〓■朝、 牛島 謹爾 、 添田 寿一 氏等ヘ書状ヲ認ム、蓋シ 町田 氏ニ托スルナリ、 午後五時 頃ヨリ 兼子 ト共ニ 永田 四郎 ノ婚儀ニ出席ス、食卓上祝詞ヲ述フ、夜 十時 帰宅、更ニ 米国 行ノ書状ヲ認ム
詳細 - 井深1919-5-16〔大正8年(1919年)5月16日〕
五月十六日(金) 午前九時半、江原、長尾ノ二氏同道、渋澤氏ヲ事務所ニ訪問シ、来年十月ノ日曜学校世界大会後援会ノコトニ付交渉ス。同氏ハ既ニ東京市長助役其他ノ方面ニ依頼シタリトノコトナリキ。且後援会ハ飽マデモ後援会ニシテ首脳者ニ非ズ云々ノ話モアリキ。 午後二時、朝鮮ヨリ来リタルエルドアン、ウヰトモール、ホールドクロフトノ三人ト共ニ原総理大臣ヲ官邸ニ訪問シ、今回ノ騒動ニ付陳情シタルニ、大臣ハ鄭寧ニ聴取リテ後、自己ノ意見ヲ開陳シタリ。其趣意ハ将来朝鮮統治ニ改善ヲ加フルノ方針ナル旨ヲ明言シタリ。
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