焼糸善後解決目前に迫る : 八日具体案作製横浜無条件委任
- 日付
- 1924-4-9(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
焼失生糸損失分担□題解決案の調停者たる渋沢、牧野両子爵及び志村の三氏は七日午後一時から丸の内渋沢事務所に会合して解決案の取まとめをする予定であったが渋沢子爵の都合で八日午前九時から王子の渋沢邸で会合協定することに変更された、従って同日の会合でいよいよ具体案が作成され午後から蚕糸中央会事務所で開会の実行常務委員会に提示の予定であるが同日横浜蚕糸商も右会合に臨席し仲裁委員たる渋沢、牧野、志村の三氏と会見し横浜側の意見を陳情する筈である、しかして横浜蚕糸貿易商組合は七日午後から々事務所に有志総会を開き予め種々協□を凝らした結果一切無条件で仲裁委員を信頼しその調停に応ずべく必要の交渉をすべて役員に一任することに決定同四時散会した
言及人物
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四月九日(水) 曇 午前九時、新宿角筈ニ於テ新学年ヲ開始ス。同時ニ自分ノ部長並ニ教授ノ職ヲ辞シタルコト[ヲ]告ゲ、都留氏ガ部長心得ニ挙ゲラレタルコトヲ告ゲテ、同氏ヲ紹介ス。開校ノ後、教授会アリ。 正午、フエルプス氏留守宅ニ於テ今回ハワイヨリ来リタル毛利氏ト会見シ、来年六月ホノルルニ開カルベキ汎太平洋Y M C A会ノコトニ付協議ス。斎藤、藤田、筧、角倉、生江氏等出席。 旭川ヨリキヤベツ着ス。 康夫一高入学許可ノ電報来ル。
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