六億円を消費するわが肥料界の情勢
- 日付
- 1925-9-25(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目

説明
概要 わが国販売肥料(金肥)の趨勢を窺うに人口の増殖は必然国民生活上食糧消費の増加を促したそれがために事前耕作地の増加となり農作法も集約的となって来た、けれどもまた一方において所謂収穫低減の法則が行われるに鑑み、ここに当然収穫量の増加は施肥量に正比例するものなることに自覚を来たした従って農家の進歩発展に併行して販売肥料の需要も等級的ながら漸次増加を告げ今や実に三億余円の金額を算するに至った、之に自給肥料を加算すれば約六億円を突破するの状勢である。然るに販売肥料の内現在内地で供給し得らるるものは年額約一億三千万円に過ぎず他は輸入に待たねばならぬ状況にある輸入額は年によって増減があるが約一億五千万円を算するこれ刻下の為替問題や貿易上や金融上や農業労働上から見ても重大なる問題である 需給の趨勢 しからばわが国の販売肥料の変遷は如何にというに生産、輸移入状況を農林省調査に基くと生産は逐年著しき増加を示し、最近三ヵ年平均生産額約一億二千四百万円の巨額に達する、これを明治三十六年肥料取締法の実施された当事の生産額約一千七百万円に比すれば実に七倍三分の激…
言及人物
典拠・外部リンク
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