支那中央銀行問題 : [支那中央銀行問題 其二]
- 日付
- 1913-5-30(day)
- 渋沢関連
- ○ 渋沢栄一に直接関わる項目
![支那中央銀行問題 : [支那中央銀行問題 其二]](https://da.lib.kobe-u.ac.jp/files/iiif/1/20000/0100065077/45855.tiff/full/900,/0/default.jpg)
説明
袁派の孫攻撃 上海の国民党新聞は袁世凱攻撃の材料として宋教仁暗殺事件並に大借款不法調印問題を振り廻し更に昨今は外蒙古自治問題をも担ぎ出して其の攻撃材料頗る豊富なるに反し袁派の諸新聞は今日迄国民党を攻撃すべき殆ど何物をも有せざる状態なりしが近頃に至り何処より出したるものか南京臨時政府時代に時の臨時大総統孫逸仙氏が阪谷芳郎男に与うるに支那中央銀行設立権を以てしたる契約書を掲載し是れ故なくして孫氏は自国の金融財政の権を日本人に与えんと欲したるなり斯の如き人物に政治上の実権を握らしむるは国家に取り甚だ危険なりと頻りに攻撃の矢を放ち出したり 設立計画の動機 之に関して阪谷男は語って曰く一昨秋支那に革命戦起るや時の革命軍は頗る軍資に窮し孫大総統は同年十二月何天烱氏を使者として東京に大隈伯を訪問せしめ之が善後策に就て教えを乞いたり大隈伯は何氏に答うるに自分は革命軍の軍資欠乏の声を聞きては頗る同情に堪ざるも何分身体不自由にして到底東奔西走の労に堪うる能わずとて何氏に向い其相談相手として余を推薦せり是に於て余は何氏に問うに軍資の如き一時的経費の都合は何とか片付け得…
言及人物
典拠・外部リンク
人手で照合した確定エンティティを外部 LOD で参照できます
同日の他の記事
1913-5-30 の他のソース・他のエントリ
関連リソース
言及人物・場所が共通するエントリ
新聞1944-4-21繭・生糸標準価格決る : 繭は九十掛(十五掛引上げ)生糸は千三十八円
詳細
新聞1944-6-3統制会の変貌から全産連、経連の関係微妙 : 経済断層
詳細
新聞1944-6-30学徒動員 工場数と睨合せて運用に機動力 : 軍需・文部省委員視察の結論進言
詳細
新聞1943-5-6三社(三井、三菱、住友)に配合吸収 : 中小倉庫業者企業整備
詳細
新聞1943-5-25雄大規模で推進 : 関門倉庫の整備拡充
詳細
新聞1943-12-3尊農の先覚を偲ぶ : わが国化学肥料製造の濫觴由縁の釜屋堀に記念碑建立
詳細
新聞1942-5-16首脳に適材を据え業態別に十統制会 : 戦時金融強力な自律へ : "金融統制会"全貌
詳細
新聞1942-5-20民族研究所を創設 : 大東亜建設の基本的工作
詳細
新聞1942-5-20共栄圏内各人種の台帳作成 : 民族研究所七月店開き
詳細
新聞1942-5-21「民族研究所」創設 : "共栄圏"民族政策の土台に
詳細
新聞1942-8-22「民族学協会」誕生 共栄圏の振興、発達に寄与
詳細
新聞1942-9-24小売業者資産評価三十種に基準決定 : 商品、什器等は何れも時価
詳細