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日記DiaryEntryDKB10001m-0020

八月廿九日

日付
1868-10-14(day)
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説明

八月廿九日 曇 水 十月十四日 朝コンマンダント江諸勘定相渡、向後同人給金其外手当四千仏相渡、被下物之儀ニ付 篤太夫 より印紙相渡す、御用荷物詰込いたす 第 十時 、 篤太夫 フロリ ヘラルト 方罷越す、飛脚船会社頭取も罷出、郵船代凡積相渡す、諸勘定は今日右 ウードラア 英国 飛脚船会社《(仏)》に 篤太夫 相渡し、手附返却方申談候上、 フロリ 迄可差越旨申談罷帰る、 篤太夫 東洋ハンク罷越す、為替手形請取方ニ付 涌之助 同道いたす 第 四時 、御乗廻し、 コロネル 御供、第 五時 過御帰館、 ジユリイ 罷出、同人公子御附添 仏国 に罷越、其後 日本 罷越候入費之儀ニ付云々難渋之廉申立る 夜 六時 、 フロリ ヘラルト 、 クレイコロネル 及妻 コンマンタン 両人、其御国士官不残御発程ニ付夜餐被下、 フロリ ヘラルト より為御餞別唐銅置物献上いたす、飛脚船部屋札并勘定書ハ馬寨里へ相廻し可申旨、 フロリ ヘラルト より 篤太夫 江申聞ル フロリ ヘラルト 、 クレイコンマンタン 、パタサン江被下物有之 御残之者ハ 十七日 当地出立、 馬港 罷越可申旨 篤太夫 より申達し、入用□千《(金カ分カ)》フランク、コンマンタント江相渡し毎事申談置 ジユリイ 歎願之儀ニ付七百フランク被下之積 貞次郎 へ申談、金子相渡す、諸書物類写 貞次郎 ヘ相渡ス、 フロリ ヘラルト より御借家ニ付 篤太夫 調印ニ而請負人ヘ相渡候書翰之写差出す、右代弐十フランク八十サ相 渡す、 フロリ ヘラルト 献上之品其外とも荷拵之儀バンサン申残し、六十二番、六十三番と番号申談す 御用御箱之残 コロネル 被下小遣ヘ被下 ホワシミヱール為御暇乞罷出る

現代語訳

朝、コンマンダントへ諸勘定を渡した。今後の同人の給金その他の手当として四千フランクを渡し、下賜品の件について、篤太夫より印紙を渡した。御用の荷物を詰め込んだ。

午前十時、篤太夫はフロリ・ヘラルト方へ行った。飛脚船会社の頭取も来ており、郵船代のおおよその積りを渡した。諸勘定は、今日、右のウードラア英国飛脚船会社に篤太夫が渡し、手付金の返却について相談したうえで、フロリまで差し送るよう申し合わせて帰った。

篤太夫は東洋バンクへ行った。為替手形の受け取りについて、涌之助が同道した。

午後四時、乗り回しに出られ、コロネルがお供した。午後五時過ぎに帰館された。

ジユリイが来て、同人が公子に付き添ってフランスへ来たこと、その後日本へ行ったことの費用について、いろいろと困難な点を申し立てた。

午後六時、フロリ・ヘラルト、クレイ・コロネルおよびその妻、コンマンタン両人、そのほか御国の士官全員に、出発に際して夜餐を下された。フロリ・ヘラルトより、御餞別として唐銅の置物を献上した。飛脚船の部屋札ならびに勘定書はマルセイユへ回すようにと、フロリ・ヘラルトより篤太夫へ申し聞けた。

フロリ・ヘラルト、クレイ・コンマンタン、パタサンへ下賜品があった。

残る者は十七日に当地を出立し、マルセイユ港へ行くようにと、篤太夫より申し達した。入用金千フランクをコンマンタントへ渡し、万事相談しておいた。

ジユリイの歎願の件について、七百フランクを下される予定であることを貞次郎へ相談し、金子を渡した。諸書物類の写しを貞次郎へ渡した。

フロリ・ヘラルトより、借家について篤太夫の調印で請負人へ渡した書簡の写しを差し出した。右の代金二十フランク八十サを渡した。

フロリ・ヘラルト献上の品その他の荷造りについて、バンサンへ申し残し、六十二番、六十三番と番号を取り決めた。

御用の御箱の残りは、コロネルへの下賜および小遣いとして下された。

ホワシミヱールが暇乞いのために来た。

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見出し

八月廿九日 曇 水 十月十四日

典拠・外部リンク

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