是日栄一、渋沢事務所に於て、当農場顧問原熙・主事水野陳好等と会し、当農場の経営に関し協議す。
- 日付
- 1923-2-25(day)
- 和暦
- 1923年 (大正12)
- 伝記資料 階層
- 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 > 2部 実業・経済 > 5章 農・牧・林・水産業 > 1節 農・牧・林業 > 1款 三本木渋沢農場
- 巻
- 第54巻
- 頁
- p.105-p.108
説明
是日栄一、渋沢事務所に於て、当農場顧問原熙・主事水野陳好等と会し、当農場の経営に関し協議す。翌十三年二月二十八日、三田綱町邸に於て開かれたる、当農場経営に関する協議会にも、栄一出席す。
伝記資料 本文
この綱文の根拠となる出典史料の本文 8 件
(増田明六)日誌 大正一二年
第54巻 p.105-106(増田明六)日誌 大正一二年 (増田正純氏所蔵) 二月十三日 火 晴 定刻出勤 水野陳好(三本木農場主事)昨日上京出勤す ○下略 二月十四日 水 晴 ○上略 午後三時半より五時迄水野陳好と会し、三本木農場昨年度事業報告書を査閲す ○中略。 二月廿二日 木 曇 定刻出勤 殆ト一日ヲ三本木農場ニ関する調査ニ送る 午後五時、駒場農科大学官舎ニ原熙博士を訪問す、水野陳好同道 市電ニ拠り渋谷停留場ニ至り、人力車を雇ふて訪問すれば、先生は待受けたりとて直ニ応接室ニ通され、先つ鄭重なる夕餐の馳走ニ預り、食後農場の将来経営ニ関し博士の意見を聴取す、問題ハ - 第54巻 p.106 -ページ画像 一近き将来ニ於て耕地整理組合成立する筈なるが、農場は寧ろ此際従来の消極方針を積極ニ改め、此組合成立速成に努むる事 一殖馬部廃止の事 右は孰れも小生案ニ同意せられたるも、同時に斯くの如く農場が矢面ニ立つ以上は、将来起る紛争ハ一切引受け処理する覚悟無かるべからさるが如何と之博士の注意ありしが、元より其覚悟を有す、併し斯る難局の場合ニ処するにハ相当之思慮経験を有する農場長を推薦セられたしと答へ、且同農場の将来の盛否は、一ニ係りて農場長の人物如何ニ存するを以て、其積りにて之カ撰択を請ふ旨希望し置きたり、尚本件ニ付てハ水野ニ於て県庁にて測量したる通水量及灌漑し得べき反別組合員の負担すべき工事費並造田費用等を精算して本社ニ報告セしめ更ニ講究すべしと決したり 二月廿三日 金 朝降雪午後止 定刻出勤 ○中略 午前中を農場精算査閲に費し○下略
集会日時通知表 大正一二年
第54巻 p.106集会日時通知表 大正一二年 (渋沢子爵家所蔵) 二月廿五日 日 正午 水野陳好・原熙両氏来約(兜町)
渋沢栄一 日記 大正一二年
第54巻 p.106渋沢栄一 日記 大正一二年 (渋沢子爵家所蔵) 二月二十五日 曇 寒 ○上略 正午兜町事務所ニ抵リ原熙氏・水野陳好等ト三本木農場ノ事ヲ談ス、増田明六参会ス、四人午飧ヲ共ニシテ将来ノ施設ニ付種々意見ヲ交換ス、原熙氏ハ自ラ実地ニ就テ近状ヲ視察スヘシト明言セラレシニ付、厚ク之ヲ依頼シ置キタリ○下略
(増田明六)日誌 大正一二年
第54巻 p.106-107(増田明六)日誌 大正一二年 (増田正純氏所蔵) 二月廿五日 日 雨 ○上略 午後一時子爵、原熙博士と会談、小生及水野参列、先づ午餐を共にし夫れより農場の現況及将来の施設ニ付き小生より意見を陳べて原博士の意見を尋ね、大体同意を得、子爵も亦略同意せられたり、其要旨は従来の経営は消極方針ニて経過し来りしが、向後ハ積極方針を執り、先つ耕地整理組合組織ニ力を尽し、次て農場附属受作者を指導誘掖する事、為之費用を要する事大なるべきも、大地主たる農場として此際現在職員の外更ニ農場長を採用して(大農場代表者として遜色無く、県庁又ハ地方人ニ対しても引けを取らさる学力手腕を有するものたるを有《(要)》す)其任ニ当らしむる事なり ○下略 ○中略。 五月十日 木 曇 定刻出勤 午後三時、広沢弁二氏来訪、三本木稲生川耕地整理組合組織会設置の件ニ付き意見を交換す○下略 - 第54巻 p.107 -ページ画像 ○中略。 五月廿一日 月 雨 ○上略 後四時半、同族会社重役会ニ出席、三本木農場将来の方針ニ付き意見を陳べたるが、決定ニ至らす終会 ○中略。 五月三十日 水 雨 ○上略 原熙氏の紹介で松本修介氏ニ面会した、先之原氏より同氏の履歴書を送附し来たので、今朝明石氏を訪問し三本木農場長として氏を採用する事ニ決し置度意見を述へたが、同氏は同農場を将来如何ニ経営すべき哉問題にて、或は之を他に寄附するも可ならんとさへ思ひ居る次第なるを以て、此際農場経営方針を確立したる上、之を採用すべき哉を決するを至当なりとすと之意見ありしを以て、今日直に採用する旨告くる事能ハさるのミならす、重役会を開き方針を決する迄ニハ一ケ月位を要する事となるべきを以て、同氏ニ左の如く談話し置たり 一当方ニ於て貴下を採用する事を決する迄ニハ少くとも一ケ月を要する故ニ、他ニ適当なる就職先あるニ於ては、当方ニ懸念無く就職セられたし、若し当方ニて採用と決したる際、尚就職し居らさる場合ハ改めて詳細ニ農場の状況を談話し、貴下に於ても進んて従事せんとする決心なる時、従事を請ふ事とすべし云々 ○下略 五月三十一日 木 小雨 定刻出勤 原熙氏より電話あり、昨日紹介し来りし松本修介氏ハ、福井県農会長ニ推薦を受け決定する様子なるが、三本木農場の方如何すべき哉との事なりしが、決定する見込の方を断ハらせて迄農場に迎ふるハ如何あるべき哉、況して重役会の決定も済まず、小生一存にて決するハ不可なるべしとの懸念より、遂ニ其方ニ就職セらるゝ事とし、他日農場ニ於てハ重役会決定の上同氏ニ撰定を請ふ旨を答へたり○下略
集会日時通知表 大正一三年
第54巻 p.107集会日時通知表 大正一三年 (渋沢子爵家所蔵) 二月廿八日 木 午後五時 三本木農場ノ件(綱町邸)後四綱町邸ヘ御出向
(増田明六)日誌 大正一三年
第54巻 p.107-108(増田明六)日誌 大正一三年 (増田正純氏所蔵) 二月廿八日 木 晴 出勤 午後五時三本木農場経営ニ関する協議会を綱町邸ニ於て開会せらる、出席者ハ渋沢子爵・同篤二・同智雄・原熙博士(同農場顧問)・水野陳好・渡辺得男・白石喜太郎の諸氏及小生なり 晩餐前小生より農場の現況及昨年度の成績を報告し、且現時の状勢より推察すれハ、個人ニて大農場を所持するハ将来ニ於て孰れの点より云ふも宜しからす、寧ろ自作小農創設の方針を以て、徐々ニ田畑を分 - 第54巻 p.108 -ページ画像 売する事得策なるべキ理由を陳べて大体同意を得、次て将来起るべき耕地整理組合の組織ニ付て種々協議し、夫より晩餐ニ移り支那料理の餐《(饗)》を受け、折柄他ニ約束を有せし明石氏も来会し、食後再度組合組織ニ関し種々意見を交換し、午後十時半明石氏の自動車ニ便乗を得て帰宅す ○中略。 七月十二日 土 晴 ○上略 午後、三本木開墾会社清算人川崎新兵衛氏来訪、同地耕地整理組合組織上ニ付き種々希望談ありたり ○下略
(増田明六)日誌 大正一四年
第54巻 p.108(増田明六)日誌 大正一四年 (増田正純氏所蔵) 二十六日○一二月 土 晴 出勤 ○上略 午後三時、青森県知事遠藤柳作氏上京の由ニて来訪ニ接した、依て予て同氏ニ懇願中なる三本木開墾事業ニ関し、過去の状況を詳話して向後の尽力を請ふた
(増田明六)日誌 大正一五年
第54巻 p.108(増田明六)日誌 大正一五年 (増田正純氏所蔵) 四日○三月 木 晴 出勤 三本木農場主事水野陳好君上京出勤 ○下略 ○中略。 七月二十日 火 晴 出勤 ○上略 午後二時、三本木ヨリ上京したる川崎新兵衛氏同道、農林省ニ至リ、石黒農務局長の紹介にて、耕地課長片岡 《(原本欠字)》・農林技師豊田虎次・可知貫一の三氏と会し、三本木耕地整理組合組織の件ニ関し其経過を談話し、之が成立を助長せられん事を懇頼したり ○中略。 八月十三日 金 晴 湯ケ島 ○上略 本日の来翰 深井君持参及郵便 一三本木農場出 ○下略
同日の他の記事
1923-2-25 の他のソース・他のエントリ
- 日記1923-2-25二月二十五日
二月二十五日 日 曇 寒 午前七時半 起床、入浴シテ、朝飧ス、 尾立 維孝 氏来リ二松学舎ニテ発行スル論語講義編成ノ事ヲ談話ス、 門馬 常次 氏来リテ 滝野川学院寄附金ノ事ヲ協議ス、 佐藤 浩 氏身上ノ談話アリ、 午前十時 早稲田大学 ニ抵リ校規改正委員会ヲ開キシモ、 山田 、 坂本 氏等ノ意見一致セス、依テ他日ヲ約シテ散会ス、 正午 兜町 事務所ニ抵リ 原 熙 氏、 水野 陳好 等ト 三本木 農場ノ事ヲ談ス、 増田 明六 参会ス、四人午飧ヲ共ニシテ将来ノ施設ニ付種々意見ヲ交換ス、 原 熙 氏ハ自ラ実地ニ就テ近状ヲ視察スヘシト明言セラレシニ付、厚ク之ヲ依頼シ置キタリ、 午後四時 過 春樹街 ノ家ニ抵リ書類ヲ調査ス、夜飧後、家人ト談話シ、夜 十時 帰宅、後、新聞紙ヲ朗読セシム
詳細
新聞1923-2-25通俗財話 : 紙の話
詳細