十四日
十四日 (月) 午前十時半 ジユバン氏来訪( 兜町 ) 午前十一時 田中 穂積 氏 兜町 ニ来約 正午 海底電線会社ノ件(ホテル) 午後二時 添田 地方局長来約( 兜町 )
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十四日
十四日 (月) 午前十時半 ジユバン氏来訪( 兜町 ) 午前十一時 田中 穂積 氏 兜町 ニ来約 正午 海底電線会社ノ件(ホテル) 午後二時 添田 地方局長来約( 兜町 )
〔大正8年(1919年)7月14日〕
七月十四日(月) 出院如例。 荒川ヘ委キ書状ヲ出ス。 午後二時、村井銀行ニ村井貞之助氏ヲ訪問シ、石本氏ノ為ニ依頼シタルニ、早速兄ニ相談シテ見ントノ事ナリキ。 両国教会ニテ瀬川四郎氏ノ葬儀ニ列ス。本月九日近江ニテ死去シタル由ナリ。 帰途[欠字アルカ]健次同伴シテ来リ、夕食ヲ共ニシ病院ノ様子ヲ話ス。
資本家と労働者の仲裁機関を設けたい : 文明協会講演会の席 上渋沢翁決心を語る
資本と労働との軋轢、貧富の懸隔より生ずる社会的欠陥に対して適当なる解決の道程に急ぐべく最近資本主も労働者側も著しく覚醒して来たのであるが十三日東京高等商業学校に於る大日本文明協会講演会の席上渋沢男は八十に垂とする 老躯を提げて此の問題の解決に努力せんとの決心を語って曰く『私は数年以前既に実業界を隠退して現に一個の閑人たるに過ぎない事業家でもなければ政治家でも学者でもない併しながら戦後の今日研究すべき諸問題の中資本と労働との問題は一体如何にして円満なる 解決を為し得るか資本家は資本家としての立場があり労働者には労働者としての言分がある其の適当なる調和の帰着点を見出すに苦まざるを得ない私は此の両者の代表者をして其の意見を求め其の相容れざる点を質し成るべく円滑に其の方法組織を講ずる仲裁機関を設けたい此の程 渡米した加奈陀の銀行業者エドモンドオーカー氏と会見した際談此の事に及び私は此の如き機関の設置を申述べた所氏はそれはよい加奈陀には官設の労働局と云った風のものがあると言われた私共の考える其の組織に就ては茲に明言する時でない又今日の有様を見ると貧富の懸隔…