渋沢栄一 LOD ビューア

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1913-07-12

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日本餐会

井深 (1)

d100250_ht001920詳細

〔大正2年(1913年)7月12日〕

七月十二日(土) In the morning a memorial service for Mrs. Hartshorn. Dr. Zwemer gave a splendid address in Moslem world pointing out that it was ripe unto Harvest. Subscriptions were then taken up amounting to $1200,000. The Budget is 400,000 dollars more. New officers were nominated and elected. They put me on the Executive Committee. Mr. Heinz paid for Kozaki life membership. In the afternoon there was a concert. The missionaries from Japan, Formosa and Korea and Kozaki & myself had a Banquet at the Tonhalle restaurant 20 people in all. 午前中にミセス・ハーツホーンのための追悼礼拝が行われる。ドクター・ツエマーがイスラム教の世界について優れた演説を行い、機は熟したと指摘する。寄付金は120万ドルに達した。予算にはまだ40万ドル足りない[?]。新たな役員が推薦され、選出された。私は執行委員に任命された。ミスター・ハインツが小崎の生涯会員の会費を支払った。午後にはコンサートがあった。日本と台湾、韓国からの宣教師と小崎と私でトーンハレのレストランで晩餐会、総勢20人だった。

小崎Heinz

新聞 (1)

0100257453詳細

中国興業と使節 : 双方の意思疏通す : 株式の引受は未定 : [中日実業株式会社創立 其六]

袁氏の伝言 九日渋沢男邸の午餐会にて目下来朝中の袁総統の使節孫李両氏は渋沢男其他列席の諸氏に向い最初孫逸仙氏が日支合弁会社組織の計画を齎らして渡日せし際には袁総統も亦其相談に与りたれども渋沢男と仮契約を締結したる本年三月頃には南北漸く反目の形勢となりたるより爾後孫氏よりは直接の報告を受けし事なかりしが日本の新聞紙并に支那公使館等の報告に拠りて中国興業設立の趣を耳にし袁総統も深く其素心の実現せられたるを喜び中国興業に対しては満腔の誠意を以て充分の援助と便宜とを与う可しとの袁氏よりの伝言を披露したり 渋沢男の挨拶 是に於て渋沢男は元来中国興業は決して一部の人士を限りて成立せしめんと欲せしに非ず日支実業上の連絡提携を全うせしむ可き楔子なれば日本側株主も所謂三井系、三菱系等一部に偏するを避け全国の有力なる実業家を網羅したれば支那側に於ても固より南地に対し偏頗ある可きに非ざりしに事の成行上或は南方に偏するの誤解を生ぜん事を恐れたる折柄両氏より袁総統の伝言を承り大に意を安じたりとの挨拶に及びたり 割込は未なし 左れば此の午餐会に於て双方の意志…

渋沢栄一