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- 変遷1616 〜 1645
東照社
詳細 - 変遷1673 〜 1893
越後屋
詳細 - 変遷1683 〜 1874
三井両替店
詳細 - 変遷1791 〜 1872
町会所
詳細 - 変遷1804 〜 1915
清水屋(清水組)
詳細 - 社史1840渋沢関係略年譜
【渋沢栄一】天保11年2月13日(1840年3月16日)、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市血洗島)に生まれる。幼名は市三郎。渋沢家は代々の農家で養蚕と製藍を兼業。〔0歳〕
詳細 - 年譜1840-2-13幼少年時代第01巻
武蔵国榛沢郡安部領血洗島村に生る。幼名市三郎又栄治郎、幼少時代の名乗美雄、後通称を栄一郎、名乗を栄一と改め、青淵と号す。仕官時代一時篤太夫、尋で篤太郎と称せしことあり。父は通称市郎右衛門、名乗美雅、晩香と号す。母はエイ。家は世世農を以て本業
詳細 - 年譜1845幼少年時代第01巻
栄一幼時より強健・怜悧にして、剛情なれども、忍耐強く、天性秩序を重んじ、父母に孝、兄弟に友なり。是年初めて父に句読を授けられ、尋で従兄尾高惇忠に従ひて学を修む。又書法を初め父に、尋で伯父誠室に、武芸を従兄渋沢新三郎に学ぶ。
詳細 - 社史1845渋沢関係略年譜
【渋沢栄一】この頃、父に三字教、蒙求、小学等を教わる。栄治郎と改名。〔5歳〕
詳細 - 変遷1845 〜 1876
越三商店
詳細 - 社史1847渋沢関係略年譜
【渋沢栄一】従兄尾高惇忠から漢籍を学ぶ。〔7歳〕
詳細 - 社史1848渋沢関係略年譜
【渋沢栄一】このころ実名を美雄とする。後に伯父渋沢誠室の命名で栄一と改める。〔8歳〕
詳細 - 年譜1853幼少年時代第01巻
是年より家業を助け、農耕・養蚕のほかに藍葉の買入、藍玉の製造及び販売に従事す。又是年米使ペリーの渡来に刺戟せられ、栄一の胸中攘夷の念を萌す。
詳細 - 社史1853渋沢関係略年譜
【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕
詳細 - 変遷1853 〜 1872
石川島造船所
詳細 - 年譜1854幼少年時代第01巻
叔父保右衛門に随ひて江戸に出で、書籍箱と硯箱とを購ひ、帰りて父に其奢侈を誡めらる。
詳細 - 年譜1855幼少年時代第01巻
是より先嘉永六年より病める姉の看護に心を用ゐしが、是年姉の病に関する迷信を打破す。
詳細 - 年譜1855 〜 1856青年志士時代第01巻
十六・七才以後、従兄渋沢喜作と共に近傍諸村の若者頭等より推されて其指揮に当る。
詳細 - 年譜1856青年志士時代第01巻
父に代り領主安部摂津守の岡部の陣屋に到りて、用金の命を受く。代官某倨傲にして、栄一を侮蔑す。栄一其の圧制を痛憤し、封建の弊に対し強烈なる反感を懐くに至る。
詳細 - 年譜1856 〜 1859青年志士時代第01巻
商用を以て信濃・上野及び武蔵秩父地方を巡回すること年に四回、時に従兄尾高新五郎・同長七郎等と同行し、多く詩文を作る。又江戸に遊びて詩文あり。而して家に在る時は乃ち書を読み、剣を学び、志士との交遊漸く広し。
詳細 - 社史1856渋沢関係略年譜
【渋沢栄一】父の代理で領主安部摂津守の岡部の陣屋で用金の命を受ける。代官が傲慢で栄一を侮蔑、圧制に痛憤し封建の弊に強烈な反感を持つ。〔16歳〕
詳細 - 社史1858渋沢関係略年譜
【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕
詳細 - 年譜1858-12-7青年志士時代第01巻
尾高勝五郎第三女千代子を娶る。
詳細 - 年譜1861青年志士時代第01巻
江戸に出でて儒者海保漁村の門に遊び、又剣客千葉栄次郎の道場に出入す。居ること二ヶ月余にして帰る。
詳細 - 社史1861渋沢関係略年譜
【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕
詳細 - 年譜1862-2青年志士時代第01巻
是より先、従兄尾高長七郎坂下門事件に連座せるを以て捕吏の検察頗る厳なり。是月栄一長七郎に勧めて、難を信州及び京都に避けしむ。
詳細 - 年譜1862-2青年志士時代第01巻
長男市太郎生まる、夭す。
詳細 - 社史1863渋沢関係略年譜
【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕
詳細 - 年譜1863-8青年志士時代第01巻
是年春再び江戸へ出で海保塾及び千葉塾に入る。居ること四ヶ月、其間屡々帰郷して攘夷の事を議し、七月曩に坂下門事件に闘死せる河野顕三の春雲楼遺稿を刊行す。是月従兄尾高惇忠・同長七郎・渋沢喜作等と謀り、兵を挙げて火を横浜港に放ち、外人を鏖殺し、以
詳細 - 年譜1863-8-24青年志士時代第01巻
長女宇多子生まる。
詳細 - 年譜1863-9-13青年志士時代第01巻
栄一既に身を以て国に殉ぜんと決意せしを以て是夜父に請ひて家督を辞せんとし、懇談夜を徹す。暁に至りて父遂に之を允す。尋いで翌十四日挙兵準備の為め江戸に出で月余にして帰る。是日急使を京都に遣して尾高長七郎の帰京を促す。栄一江戸滞在中偶々一橋家用
詳細 - 年譜1863-10-29青年志士時代第01巻
是より先是月二十五・六日頃尾高長七郎京都より帰京す。是夜長七郎上国の形勢を説きて、挙兵の無謀なる所以を切論す。栄一等論難大いに努めたるも、遂に開悟し、中止に決す。
詳細 - 年譜1863-11-8青年志士時代第01巻
渋沢喜作と共に伊勢参宮と称し嫌疑を避けて出郷し、江戸を経て一橋家用人平岡円四郎の家来の名義を以て京都に赴く。二十五日京都に入り、志士と交はり、歳末伊勢大神宮に参拝す。
詳細 - 年譜1864亡命および一橋家仕官時代第01巻
西郷隆盛を其旅宿相国寺に訪ひ、豚鍋の饗応を受けて談論す。
詳細 - 社史1864渋沢関係略年譜
【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕
詳細 - 年譜1864-2亡命および一橋家仕官時代第01巻
平岡円四郎の密旨を承けて大阪に赴き、摂海防禦御台場築造御用掛折田要蔵の門に入る。四月帰京す。
詳細 - 年譜1864-2-8亡命および一橋家仕官時代第01巻
是より先、尾高長七郎、栄一及び渋沢喜作の攘夷計画を記せる書翰を懐中して縛に就ける旨を報じ、栄一等を警む。栄一喜作と共に苦心焦慮後図を謀る、平岡円四郎栄一等を救はんとし推挙せるを以て、栄一喜作と共に一橋家に仕ふ。栄一は是日奥口番・御用談所下役
詳細 - 年譜1864-5亡命および一橋家仕官時代第01巻
渋沢喜作と共に人撰御用の為関東に下り、武州・総州及び野州の一橋領を巡回すること百余日、壮士約五十人を募り、九月之を率ゐて京都に帰る。此行江戸に於て尾高長七郎の救解を講じて成らず、又郷里に帰省せんとして果さず、密に父及び妻子に会せしのみ。
詳細 - 年譜1864-9亡命および一橋家仕官時代第01巻
是より先、本年六月平岡円四郎暗殺せらる。黒川嘉兵衛之に代りて用人たり。栄一等の帰京するに及び、嘉兵衛之を遇すること円四郎の時の如し。
詳細 - 年譜1864-12亡命および一橋家仕官時代第01巻
筑波挙兵の徒武田耕雲斎等、路を北国に取りて京師に入らんとす。一橋慶喜鎮撫の命を奉じ、兵を率ゐて先づ大津に、更に進んで海津に到る。栄一渋沢喜作と共に之に随ふ。
詳細 - 年譜1865亡命および一橋家仕官時代第01巻
一橋家財政の充実を図らんが為め、兵庫・大阪・備中・播磨に出張し、年貢米を兵庫に直売し、備中に硝石製造所を設立し、又藩札を発行して播州木綿の買入に便にす。帰京後其功により勘定組頭に進めらる。
詳細 - 社史1865渋沢関係略年譜
【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕
詳細 - 年譜1865-1-15亡命および一橋家仕官時代第01巻
小十人並に進み、御用談所調方出役を兼ぬ。栄一身を持すること謹厳にして、上司の深く信任する所となる。
詳細 - 年譜1865-3亡命および一橋家仕官時代第01巻
是より先、二月下旬歩兵取立御用掛を命ぜらる。是月備中・播磨・摂津・和泉四ヶ国に於ける一橋領を巡廻し、兵四百数十名を募集して帰る。此時備中寺戸村に阪谷朗廬を訪ふ。
詳細 - 年譜1865-4-23亡命および一橋家仕官時代第01巻
学問所俗事役兼務を命ぜらる。後八月之を免ぜらる。
詳細 - 年譜1865-8-19亡命および一橋家仕官時代第01巻
是より先、一橋家の財政充実を図らんとし、三案を建言して容れらる。是日勘定組頭並に転じ、御用談所出役を兼ぬ。
詳細 - 年譜1866亡命および一橋家仕官時代第01巻
将軍徳川家茂薨じて嗣なし。幕府一橋慶喜を迎へて将軍と為さんとす。栄一喜作と共に原市之進に就て其不可なる所以を切論す。行はれず。
詳細 - 年譜1866幕府仕官時代第01巻
将軍慶喜の命に依り市川斎宮に就き電信の技を伝習す。
詳細 - 社史1866渋沢関係略年譜
【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕
詳細 - 年譜1866-8-11亡命および一橋家仕官時代第01巻
是より先、一橋慶喜将軍の名代として長州に出征せんとす。栄一従軍を命ぜられ、是日勘定組頭を以て御使役に兼任し、而して御用人手附を仰付けらる。栄一乃ち手書及び懐剣を夫人に贈りて別を告ぐ。
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