渋沢栄一 LOD ビューア
日記DiaryEntryDKB20008m-0001

一月一日

日付
1925-1-1(day)

説明

一月一日 木 快晴 寒 午前七時半 起床、直ニ入浴シテ後、従者一同ト共ニ客舎ニ於ル新年ノ祝賀ヲ受ク、後、新聞紙及雑誌ノ類ヲ一読ス、同宿ノ 植村 澄三郎 氏来リ新年ヲ賀シ、且、種々ノ談話ヲ為ス、協調会常務理事 添田 敬一郎 氏旧臘ヨリ同宿セラレシカ朝来新年ヲ賀ス、 田中 太郎 氏夫妻モ客臘ヨリ当地ニ在リテ来訪、新春ヲ賀ス、 四谷 区長 佐藤 三吾 氏モ此客舎ニ在リテ新年ヲ賀ス 例ニヨリテ新年ノ書感ヲ案シ、左ノ二絶ヲ得タリ 養痾好在岫雲荘。客裏韶光引興長。最善梅花無世態。東風先送旧時香。 老去笑吾猶惜陰。毎逢佳節思更深。不嫌人事少成績。只剰忠誠報国心。 乙丑元旦在 湯河原 岫雲楼客舎書感時馬齢八秩又加六 青淵未定稿 (欄外) [夜飧後、新聞紙ヲ朗読セシメ又ハ小説ノ談話アリ、 十一時 就寝 ○竜門雑誌第四三六号( 大正十四年一月 発行)「青渊先生動静大要」 十二月 中ニ左ノ如ク記ス。 青渊 先生には去月来感冒に喘息を併発せられ専ら在邸療養に尽されつゝありしが、漸次快方に赴かれしを以て、 二十七日 午前十時十分 東京 駅発令夫人と共に 相州 湯河原 に転地せられ、同地天野屋旅館に於て越年の上静養せらるゝ事となれり。

現代語訳

午前七時三十分起床。すぐに入浴し、その後、従者一同とともに客舎で新年の祝賀を受けた。のち、新聞および雑誌類を一読した。

同宿の植村澄三郎氏が来て新年を祝い、また種々の談話をした。協調会常務理事の添田敬一郎氏は昨年十二月から同宿していたが、朝から新年を祝って来訪した。田中太郎氏夫妻も昨年十二月から当地に滞在しており、来訪して新春を祝った。四谷区長の佐藤三吾氏もこの客舎に滞在しており、新年を祝った。

例によって新年の感想を詩にしようと考え、次の二絶を得た。

病を養うには、岫雲荘にいるのがよい。旅先で迎える春の光は、興趣をいっそう長く引く。最もよいのは、梅の花に世俗の態度がないことだ。春風はまず、昔ながらの香りを運んでくる。

老いてなお、私は時間を惜しむ自分を笑う。佳節に逢うたびに、思いはいっそう深くなる。人事に成果の少ないことを嫌うのではない。ただ忠誠をもって国に報いようとする心だけが残っている。

乙丑元旦、湯河原の岫雲楼客舎にて感想を書いた。時に馬齢八十六。 青淵未定稿

夜食後、新聞を朗読させ、また小説についての談話があった。十一時就寝。

○『竜門雑誌』第四三六号(大正十四年一月発行)「青淵先生動静大要」十二月中に、次のように記されている。

青淵先生は先月以来、感冒に喘息を併発され、もっぱら在邸して療養に努めておられたが、しだいに快方に向かわれたので、二十七日午前十時十分東京駅発で令夫人とともに相州湯河原へ転地され、同地の天野屋旅館で越年し、静養されることとなった。

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見出し

一月一日 木 快晴 寒

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