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日記DiaryEntryDKB10022m-0089

五月二十九日

日付
1914-5-29(day)

説明

五月二十九日 金 朝来冷気且風少シク減シテ又昨日ノ暴風酷暑ニ似ス、気候ノ変化殊ニ甚シ 午前六時 一旦起床、洗面セシモ、疲労多クシテ褥中ニ静養ス、当地ニ於テ入手セル故郷ノ書信ヲ一読シ、其送リ来レル書冊ヲ読ム、曾テ予定セル 曲阜 ナル聖廟参拝ノ事ハ病ノ為メ果ス能ハサルニ付、明日開帆ノ 独乙 郵船ニテ先ツ 大連 ニ渡航シ、更ニ日清汽船ノ嘉宜丸《(嘉義丸)》ニ搭シテ直ニ 門司 ニ航スル事ト定メ、 曲阜 行中止ニ付テハ 北京 官憲ノ諸向及 曲阜 ナル衍聖公等ヘ詳細ノ電報ヲ為シ、一方 大連 ナル本邦各方面ヘモ其旨ヲ通知スル等、電信郵便等ニテ、 明石 、 増田 等特ニ奔走セリ、又、昨日当地都督及商務総会ノ歓迎会ヲ断リタル挨拶其他種々ノ答礼又ハ照会ノ為メ、各員一同必死尽力セリ、午前ヨリ熱度ハ大ニ減スレトモ腹部ニ故障アリテ褥ヲ離ルヽ能ハス、臥牀中、 馬越 氏其他ト種々ノ協議ヲ為ス、且、昨夜 北京 ニ於テ 山座 公使公使俄然逝去ノ報アリ、一行驚愕ヲ極ム、夕方朱都督ヨリ贈物アリ、依テ謝状ヲ発ス (欄外) ■■[img図]〓■ 曲阜 行ニ付テハ 上海 白岩 氏ト口約アルニ付電報シテ中止ヲ通知ス、 尾崎 氏来リテ中日会社ノ事ヲ協議ス

現代語訳

午前六時

いったん起床して洗面したが、疲労がひどく、寝床の中で静養した。当地で入手した故郷からの書信を一読し、送られてきた書冊を読んだ。

かねて予定していた曲阜の聖廟参拝は、病気のため果たすことができないので、明日出帆するドイツ郵船でまず大連へ渡航し、さらに日清汽船の嘉義丸に乗って、直ちに門司へ航行することに決めた。

曲阜行きの中止については、北京官憲の諸方面および曲阜の衍聖公などへ詳細な電報を送り、一方、大連の本邦各方面へもその旨を通知するなど、電信・郵便等により、明石、増田らが特に奔走した。また、昨日、当地の都督および商務総会の歓迎会を辞退した挨拶、その他種々の答礼または照会のため、各員一同が必死に尽力した。

午前から熱は大いに下がったが、腹部に故障があり、寝床を離れることができなかった。病床で、馬越氏その他と種々の協議をした。

また、昨夜、北京において山座公使が突然逝去したとの報があり、一行は極めて驚愕した。夕方、朱都督より贈り物があり、よって謝状を出した。

(欄外)

■■[img図]〓■

曲阜行きについては、上海の白岩氏と口約があったので、電報して中止を通知した。

尾崎氏が来て、中日会社のことを協議した。

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見出し

五月二十九日 金 朝来冷気且風少シク減シテ又昨日ノ暴風酷暑ニ似ス、気候ノ変化殊ニ甚シ

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