是日栄一、東京を発し韓国視察の途に上り、五月三十日帰京す。
- 日付
- 1898-4-23(day)
- 時代区分(原文)
- 旅行
- 和暦
- 1898年 (明治31)
- 伝記資料 階層
- 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 > 3部 身辺 > 6章 旅行
- 巻
- 第29巻
- 頁
- p.453
伝記資料 本文
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竜門雑誌 第一一九号・第四〇頁 明治三一年四月 ○青淵先生の渡韓
第29巻 p.453竜門雑誌 第一一九号・第四〇頁 明治三一年四月 ○青淵先生の渡韓 青淵先生は先年来第一銀行在韓支店巡視の為め渡韓せらるゝ筈なりしも、多忙にて其約を果さゞりしも、本年は是非とのことにて、愈々四月十二日東京出発、途次長崎の立神なる三菱造船所新造船常陸丸の進水式に臨み渡韓する予定なりしも、都合に依り延期し、二十三日午前六時新橋発の汽車にて発程せられたり、当日は本社々長及在京会員の多数と、府下の実業者数百名の見送りありたり
竜門雑誌 第一二一号・第六七―六八頁 明治三一年六月 ○青淵先生の無事帰朝
第29巻 p.453竜門雑誌 第一二一号・第六七―六八頁 明治三一年六月 ○青淵先生の無事帰朝 兼ねて韓国旅行中なりし青淵先生には、略ぼ当該の要務を了へたるを以て、去五月十五日玄海丸にて仁川を発せられ、長崎に上陸、爾後門司・厳島・岡山・神戸・大阪・京都・奈良・四日市・名古屋の各地を経、同月三十日午後九時無事帰京せられたり ○本資料第十六巻所収「韓国ニ於ケル第一銀行」明治三十一年五月七日ノ条参照。
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- 年譜1898-4-23第25巻
是日栄一、東京を発して韓国視察の途に上る。五月七日京城に於て韓国皇帝に謁し、同月三十日帰京す。
詳細 - 事業1898-4-23韓国行
是より先、清国政府は我政府に一千万円の借款を要請す。栄一之に応ぜんことを大蔵卿大隈重信に慫慂し、政府は第一国立銀行頭取たる栄一と、三井物産会社長益田孝とにその交渉を委任す。更に清国招商局よりも借款の交渉あり、政府は合せて之を両人に委託せり。
詳細 - 井深1898-4-23〔明治31年(1898年)4月23日〕
四月二十三日(土) 午前八時三十分ヨリ東山学院講堂ニ於テ祈祷会ヲ開キ、次テ研究会ヲ開ク。問題ハ学生青年会ノ会合即チ其性質ト数ニ付テ討議ス。余之ヲ司ル。次ニ准会員ニ対スル正会員ノ義務ニ付テ研究会ヲ開ク。終ニ質問及ビ相談会ヲ開キ、次回ノ部会ハ熊本ニ於テスベキコトヲ定ム。 引キ続キ体操場ニ於テ親睦会アリ。共ニ弁当ヲ食シ、剣舞アリ。終ニ一同余ヲ胴上シテ厚意ヲ表シタリ。 瀨川浅氏方ニ招カレテ晩餐ノ饗応ヲ受ケ、夜ハ鎮西学館ニ於テ演説会アリ。余ハ万国学生同盟ニ付テ説キ、スウヰフト氏ハ献身ノ問題ヲ論ズ。
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