1905(明治38) 年5月28日 Sunday
- 日付
- 1905-5-28(day)
説明
朝七時前に保坂鉄次郎来り共に外出。築地メトロポルに赴きブロックユイスに紹介、船中の事を依頼す。帰途天気晴朗如何にも心地よし。采女橋林忠正の邸を通り掛けに一寸訪問した。先月の末に帰朝したとの事。庭に出でゝ其構造の自慢話をする。又同氏の話に昨日対馬沖の海戦は万事こちらの註文通りに行つたので好結果。夕方には敵艦隊列を乱したとの報道達して居るとの話、少時の後辞し途中日影町の中田屋で夏帽をピアストルで買つて十時前に帰宅す。午後一時前よりこまに促され買物に出る。九段行に乗つて小川町で降り勧工場に入り夫より引返し洋傘店を二軒ひやかし終に七○のを一本買つて大喜び。須田町より日本橋まで走り梅園といふ汁粉屋にはいり後茅場町まで歩いて三田行を待つて帰る。夜食後六時過より目黒に出掛ける。丁度竹野氏老人が来て居て覆盆子初摘中であつた。海戦の評判話などして居る内空が暗く降りさうになつて来たので八時過から帰つた。
同日の他の記事
1905-5-28 の他のソース・他のエントリ
- 日記1905-5-28五月二十八日
五月二十八日 日 晴 薄暑 午前七時 起床、庭園ヲ散歩シ、 八時 朝飧ヲ畢ル、食後各新聞紙ヲ一覧シ、後ニ揮毫ヲ為シ且書状ヲ裁ス、天気朗晴ニシテ少シク薄暑ヲ催フス、午後 皆川 四郎 夫妻来訪セラル、夕方庭園ヲ散歩ス
詳細 - 井深1905-5-28〔明治38年(1905年)5月28日〕
5月28日(日曜日) Honda, is not well. He has a high fever. He was to speak twice today but he had to keep himself in bed. I asked Mr. Webster to send us a doctor and he did so. The doctor was very kind to him. The fever came simply from his throat. I preached for Mr. Webster in his church 【f】or the English speaking people. There were more than 100…… In the evening I spoke in the Reformed School Chapel to nearly 300 people. The enthusiasm of the Hungarians for us is almost boundless. 本多の体調が悪い。高熱がある。彼は今日2度スピーチをすることになっていたが、やむなく床についていた。ミスター・ウェブスターに医者を呼んでもらった。ドクターが丁寧に診察。熱はただ喉から来たものだった。 私はミスター・ウェブスターに乞われ、彼の教会で英語を解する人々のための説教をした。聴衆は100人以上。……晩には改革派神学校のチャペルで300人近い人の前で話した。日本に対するハンガリー人の熱情は限りないかのようだ。
詳細