七月三十日附 ブリュッセル発信 母宛 封書
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- 1886-7-30(day)
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七月三十日附 ブリュッセル発信 母宛 封書 六月三日おだしのおてがみたしかにあいとゞきありがたくさつそくはいけんいたしましたら父上様 あなたさま御はじめみなみなさま御そろひますますごきげんよくいらせられ候よしまことにまことにおんめでたくぞんじあげまいらせ候 つぎにわたくしこといつもかわらずげんきなことにてさる二十八日まつがたさんがぱりすにちよつときておかへりなさるをさいわい一しよにべるじつくといふくににいきました このべるじつくではやつぱりふらんすのことばをつかいますからすこしもふじゆうはございません またわたしなどのおるべるじつくのみやこぶりゆくせると申ところはたいへんきれいなところにてちいさなぱりすとでももうすようなところです につぽんじんのしよせいがしごにんおります わたしは一月ばかりおるつもりです いろいろめづらしいことがございますからこのつぎのびんにくわしく めで度かしこ 母上様 ぶじ 新太拝 せつかくごようじんごようじん みなさんによろしく なつやすみにたびをするのはことしがはじめてです
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1886(明治19) 年7月30日
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- 井深1886-7-30〔明治19年(1886年)7月30日〕
○三十日 快晴 午前十時過、児玉氏来リ告テ曰、今朝警察署ヨリ目下コレラ流行ノ兆アルニ付、説教ヲ見合ハスベキ旨ヲ達シタリト。尤モ仏法ノ説教モ均シク止メタル也。依テ不得止此夜ノ説教ヲ止ム。 午後、原田氏来リ、同氏細君ニ道ヲ説クコトヲ見合ハセ度由ヲ述ブ。同氏ニ就キ高田中学校ノコトヲ尋ヌ。氏ノ答大略如左。此学校ハ明治八年比ノ設立ニ係リ、目下郡役所ノ管理ニ属シ地方協儀(議)費ニ由テ維持ス。生徒大凡百五十名、旧藩士ノ子弟多シ。教員幷月給ハ理学士七十円、飜訳教師四十円、語学教員三十円、漢学教師二十円、幹事二名十八円、其他画学、漢学助教等数名ナリ。雑費一ケ年七百円ヲ要ス。月謝ハ郡内ノ者ハ月十銭、他方ヨリ来ル者ハ三十銭也。目下六千円ノ資本アリト雖、尚一万二三千円ヲ要スト云フ。 夜、講義所ニ往キ原澤氏等ニ別ヲ告ク。
詳細 - 久米1886-7-30
1886(明治19) 年7月30日 Friday
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