五、一五事件から何を採らんとする : 日日だより
薊花から蜜を採る。五、一五事件からは、何を採らんとする。 我等は今更ら五、一五事件を論評せんとする者ではない。法官をして公平なる裁判を做さしめよ。我等は彊いて此際彼是と擬議を挿まない。但だ之を既成の事件として、空しく時候後れの新聞紙と同様に、葬り去ることを口惜しく思う。 端的に云えば、法は法として、罰は罰として、我等は此の事件から何物かを採りたい。我等は死者の血も、空しく洒がず。生者の涙も、空しく流さず。此の事件の危を転じて、安と為したきものと思う。名医は、毒を用いて薬と為す。各政治家は、不幸を善用して、幸福と為す。有為の国民は、国家の不詳事を快転して、之を国運昌進の契機となす。未だ知らず、此の五、一五事件から、我等は何物を採らんとする。 総てとは云わない、悉くとは云わない。けれども、五、一五事件の一味の連中の、法廷に於て語る所のものは、概ね我が時弊に的中し、我が国民の好薬石だ。諺に良薬口に苦しと云う。彼等の所説は、我が政党人、我が財閥人、我が所謂る支配階級人に取りては、随分苦言もあり、時としては所謂る毒語もあったかも知れない。けれども虚心…