渋沢栄一 LOD ビューア

タイムライン

1927-01-21

◆ 2ソース横断日記 1新聞 1
表示範囲:渋沢栄一関連のみ (2)全項目 (2)既定では、同時代の日記(黒田・井深・久米・捃拾帖)は渋沢栄一が登場する項目のみ表示します
共通キーワード (複数ソースに登場)
次第

日記 (1)

DKB20010m-0021詳細

一月二十一日

一月二十一日 金 晴 寒気昨ト同シ 午前八時 起床、洗面シテ朝飧ス、畢テ各種ノ新聞紙ヲ朗読セシム、 小畑 久五郎 氏外人関係ノ書類ヲ持参シテ処理ヲ請フ、一覧シテ其処分ヲ指示ス、且、曩テ《(ニ)》送リ来レル各種ノ翻訳又ハ書翰ノ原案等ヲ修正シテ返付ス、 尾高 鮮之助 来リ 神田 鐳蔵 氏所蔵ノ浮世絵一覧ノ紹介ヲ請フ、直ニ電話ニテ之ヲ通知シ本人ノ便宜次第直接電話ヲ以テ其日時ヲ定ムル事トス、夕方ヨリ 井野辺 茂雄 、 高田 利吉 二氏来リ慶喜公伝ノ復読ニ勉ム、曩ニ雑誌苦楽社 松本 氏ヨリ申出アリテ初号ニ其端緒ヲ発表セル幕末ニ於ル 慶喜 公ニ対スル余ノ観察ハ、尚雑誌社ノ希望次第継続ヲ承諾スル事トシテ 高田 氏ヨリ交渉セシム 御伝記復読ノ事ハ夜食後 井野辺 、 高田 二氏ト共ニ夜 九時 過迄継続シ次会ヲ約シテ散会ス、夜 十時 過就寝

井野辺茂雄小畑久五郎尾高鮮之助徳川慶喜

新聞 (1)

0100179604詳細

セメント需要の激増とセメント界の覇者浅野セメントの現况 : 業界に新機軸を出す浅野超高級セメント創立

我が建築界の状勢は最近長足の進歩を遂げて都市の建築は勿論地方に於ても建築様式は漸次セメント使用の量を増し築造物の総てが文化的様式と変り為にセメント界も逐年活気を呈しセメント製造会社も全国を通じて数十社を数えるに至った セメント会社中に於て最も古い歴史を有し総ての点に於て東洋第一を以て自他共に許す浅野セメント株式会社は明治四年政府が深川の地にセメント製造所を設けたものを現社長浅野総一郎氏が明治十六年其の工場全部の払下げを受け浅野工場の名を冠して浅野氏独立経営のもとにセメント生産を開始しここに始めて浅野セメント株式会社の芽生を生じたもので浅野セメント会社の第一期即ち創業時代とも云うべきもので日本に於いては民間の経営としては之れを嚆矢とするものである、其の後世相は次第に変遷して日本に於てもセメントの需要は次第に増大し会社も又生産に就ては幾多の研鑚を重ね海外に技師を派して親しく先進国の状態を視察見学させるやら新式機械の購入と生産過程に常に改善を加えて逐年増加の趨勢にあるセメント需要の状態に相対応して来たもので現今の資本金五千六百三十一万円セメントの年産…

渋沢栄一