渋沢栄一 LOD ビューア

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1926-01-01

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午前九時子爵年賀快晴新年旅行昨年来訪銀行

日記 (2)

DKB20009m-0001詳細

一月一日

一月一日 金 快晴 軽寒 午前七時 起床、直ニ入浴シテ、後、衣服ヲ改メ昨夜推敲セシ新年書感ノ一絶ヲ揮毫ス、 午前九時 祝盃ト共ニ朝飧ヲ畢リ、 十時 兜町 事務所ニ抵ル、家ヲ出ルニ際シテ家人一同ノ新年祝賀ヲ受ク、 兜町 事務所ニ於テ同族会社役員其他所員一同ノ祝賀ヲ受ケ、更ニ各会社ノ人々及知人ノ来訪ニ接ス、 十一時 第一銀行 ニ抵リ年始ノ賀筵ニ列ス、祝盃ヲ受クル行員総計四百余人ナリト云フ、畢テ一場ノ感想談ニ類スル祝辞ヲ演説ス、朝来揮毫ノ新年ノ作ハ事務所ト銀行トニ掲テ一同ニ示ス、 十二時 過式畢テ事務所ニ抵リ、直ニ 三田 邸ニ抵リ新年ヲ賀ス、 正雄 来会シ共ニ午飧ス、旧交アル種々ノ祝賀来客アリ、 午後四時 過帰宿ス (欄外) ■■[img図]〓■ 兜町 事務所ニ 穂積 男爵来リ新年ヲ賀シ、頃日内話セシ 井上 準之助 氏ノ事ヲ談話ス 夜食前後ニ於テ各新聞紙及雑誌類ヲ朗読セシメ、又、自ラ点検セシモノ数種アリ、夜 十時 就寝

井上準之助渋沢正雄穂積三田日本橋兜町
DKB20028m-0001詳細

一日

一日 (金) 四方拝 午前十時 年賀式(事ム所)

井深 (1)

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〔大正15年(1926年)1月1日〕

一月一日(金) 快晴 例の如く家族感謝ヲ以テ新年ノ雑煮餅ヲ食ス。但真澄ハ友人平尾ト同ニ信州ニ旅行シ不在ナリ。昨年ハ自分病後ノ為鎌倉ニ転地シテ越年シタリシガ、今年ハ自宅ニ於テ新年ヲ迎ヘタルハ感謝ニ堪ヘズ。 午前九時、宅ヲ出テ松平子爵邸ニ赴キ子爵年賀ノ詞ヲ述ベ、ソレヨリ沼澤、勝治、木村等ヲ訪問シテ帰宅。 秋葉、木村、牧野、鷲山等来訪。片山寛来訪、夕食ヲ共ニシテ帰去ス。

木村良夫秋葉省像鷲山第三郎

新聞 (1)

0100206547詳細

金利は国力の象徴/現状のまま推移せば金融は緩和せん

金利は国力の象徴 銀行の高利貸化を警む 子爵 渋沢栄一氏 一 老生は一昨年来病気のため経済界の実際に親しく接していないので、創立当時から関係の深い中外商業新報のためにも纏まったことが申述べられない。さて四五年前米国旅行をしての帰途サンフランシスコで新年を迎えた時一詩を得たが、その転結に 米寿算来猶欠五。金門迎得太平春。 とある。それは当時の年齢が八十三歳であったからで、それが明年は米寿を迎えることになった、つくづく長く生きたものであると考えるが、この長い間に世の中のため充分に尽すことが出来なかったのは遺憾の極みである。そして現代の一般風習は功利を目的とし、自己主義の者が多く、忠恕とか仁義とかは殆どなく徒らに権利のみ主張して義務を忘れるという有様である、かくいえば渋沢がまた世迷言をいうと嗤うか知らぬが、将来私をして「それ見たことか」といわせることのない様にしたい、出来るならばこれを杞憂の終らせたいと敢て此言をなすのである。 二 私は金融界とか商工業界とかの事態、海外貿易の実際等に就て言わんと欲しても今いうを得ないのであるが、ただ一つ申…

渋沢栄一