渋沢栄一 LOD ビューア

タイムライン

1915-10-14

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平和協会念茶話会米国行送別会出席報告帝国意見演説答辞訪問銀行

日記 (1)

DKB20001m-0281詳細

十月十四日

十月十四日 木 曇、 午前七時 起床、入浴、朝飧ヲ畢リ多数ノ来人ニ接ス、 三田 邸ヨリ 敬三 来リテ 仙台 ヨリ出京ノ事ヲ報ス、 吉池 慶正 氏其女娚 桜井 氏《(婿)》ヲ同行シ来リテ面識ヲ求メラル、 午前九時 神宮奉賛会事務所ニ抵リ 関西 地方ニ於ル府県遊説ノ顚末ヲ報告ス、 正午 帝国ホテル ニ於テ平和協会開催ノ送別会出席ス、 阪谷 男、 金子 子等ノ演説アリ、余モ一場ノ答辞ヲ述フ、 午後三時 第一銀行 ニ抵リ行務ヲ談ス、 三時半 事務所ニ抵リ仏人 ロー 氏ノ訪問ニ接ス、大使ノ内話ト同シク公債応募ノ事ニ付、余ノ意見ヲ徴セラル、 午後五時 埼玉学生誘掖会 ニ抵リ、紀念茶話会出席シ一場ノ講演ヲ為ス、夜 十時 帰宅、後、新聞紙類ヲ一覧ス

ロー吉池慶正桜井渋沢敬三三田仙台関西

年譜 (3)

DK330001k詳細

是より先栄一、アメリカ合衆国サン・フランシスコに於て開催中のパナマ太平洋万国大博覧会観覧を兼ねて、米国行を決意す。是日、日米関係調査委員会主催送別会、十六日東京商業会議所主催送別会、竜門社秋季総集会兼送別会、二十日東京銀行家有志主催送別会

是より先栄一、アメリカ合衆国サン・フランシスコに於て開催中のパナマ太平洋万国大博覧会観覧を兼ねて、米国行を決意す。是日、日米関係調査委員会主催送別会、十六日東京商業会議所主催送別会、竜門社秋季総集会兼送別会、二十日東京銀行家有志主催送別会、内閣総理大臣大隈重信主催送別茶話会、帰一協会主催送別晩餐会催さる。

第33巻p.5-p.18
DK350086k詳細

是より先、栄一渡米を決す。仍つて是日、当協会及び在日米人平和協会より成れる日米関係調査委員会の主催により送別午餐会帝国ホテルに開かる。栄一出席して答辞を述ぶ。当協会は栄一に当協会の意見伝達のことを託す。

是より先、栄一渡米を決す。仍つて是日、当協会及び在日米人平和協会より成れる日米関係調査委員会の主催により送別午餐会帝国ホテルに開かる。栄一出席して答辞を述ぶ。当協会は栄一に当協会の意見伝達のことを託す。

第35巻p.517-p.519
DK450071k詳細

是日栄一、当会の第十一回寄宿舎記念祝賀式に臨み、終つて記念茶話会出席し、演説をなす。

是日栄一、当会の第十一回寄宿舎記念祝賀式に臨み、終つて記念茶話会出席し、演説をなす。

第45巻p.217

事業 (1)

J-0587詳細

第三回米国行

新聞 (1)

0100214717詳細

色素会社成立難 : 当業者注文百出 : [染料製造奨励法(補助会社設立) 其十三]

色素会社関係者は既報の如く十二日午前中新会社創立に関し政府の内示案に対し大要左の如く意見を一定して渋沢男を介して政府の意向を確むるに決し同日午後渡辺千代三郎奥繁三郎浮田桂造伊藤幹一久米良作諸氏は渋沢男を訪問し事情を述て依頼せしを以て渋沢男は十三日午前当局者に会見し政府の意向を探りたる上同日午後前記諸氏と築地精養軒に会見報告し更に相共に内揃うて農商務省に上山次官、岡局長と会見せる後渋沢男始め一同退省したるが久米、奥の二氏のみ遅くまで居残り上山次官等と密議する所ありたり民間関係者は自家の意見容れられざるに於ては発起人たるを能わずと唱え居れり 当業者の意見 一、定款並に事業者目論見書は政府の認可を受くるは勿論なるも可成発起人の作成したるものに許可を与えられんと 一、会社創立に関する件は株式の分配募集一株の金額等其他総て発起人の協議に可成一任せられんと 一、資本金額は一千万円を限度とし発起人の協議に一任せられんと 一、事業者手の順序方法等は会社成立後取締役の一任せられんことを望む即ち政府の採らるる方針は政府当然の監督に止められ業務上に渉り余り干渉なき…

渋沢栄一