是日栄一、タウンセンド・ハリス記念碑除幕式に際し、その事蹟を編纂刊行頒布す。
- 日付
- 1927-10-1(day)
- 和暦
- 1927年 (昭和2)
- 伝記資料 階層
- 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 > 1部 社会公共事業 > 6章 学術及ビ其他ノ文化事業 > 4節 編纂事業 > 7款 日本に於けるタウンセンド・ハリス君の事績 付、ハリス君記念碑除幕式に於けるマクヴェー大使の式辞
- 巻
- 第48巻
- 頁
- p.39-p.40
説明
是日栄一、タウンセンド・ハリス記念碑除幕式に際し、その事蹟を編纂刊行頒布す。次いで昭和三年二月、右除幕式に於けるマクヴェー大使の式辞に序文を付して刊行頒布す。
伝記資料 本文
この綱文の根拠となる出典史料の本文 1 件
日本に於けるタウセンド・ハリス君の事蹟 渋沢栄一編 緒言・第一―二頁 昭和二年一〇月刊
第48巻 p.39-40日本に於けるタウセンド・ハリス君の事蹟 渋沢栄一編 緒言・第一―二頁 昭和二年一〇月刊 緒言 伊豆国下田柿崎の玉泉寺は、辺陬の小伽藍に過ぎざれども、タウンセンド・ハリス君が米国最初の領事館を置きたる旧蹟として、其名夙に著はる。ハリス君は我が開国の恩人なり、日米両国の交情常に親善なる所以のもの、君に負ふ所甚だ多し。然るに未だ此由緒ある史蹟を顕揚し、君の功績を永遠に記念すべき施設を見ざるは、予の深く遺憾とする所なり。偶米国全権大使バンクロフト氏亦之を慨し、同国人ウルフ氏と謀り、記念碑建立の事を予に託せらる。又玉泉寺の堂宇は、米国領事館撤廃の後、七十年の星霜を経て、甚だしく荒廃し、大正十二年の震災に因りて更に大破したれば、住職檀越並に関係町村長等諸氏汎く資を募りて修理を加へんとし、予に援助を求めらる。予乃ち日米協会会長徳川公爵に請ひ、同会員諸氏の賛同を得て其挙を助け、以て旧観に復したり。而して建碑の事は、バンクロフト氏の不慮の逝去によりて一時頓挫したるも、予は初志を枉げずして工程を進め、遂に之を落成せしめたり。惟ふに当年の領事館たりし精舎と、新に建設せられたる碑石とは、永へに日米交誼の由来を物語り、現在及び将来の両国民に、多大の感化を与ふるものあるべきを信ず。是れ予が玆に碑石と堂宇との落成式を挙ぐるに当り、特に此小冊子を印刷して来会の諸賢に頌ち、日本に於けるハリス君の事蹟を紹介し、併せて君が在天の霊に感謝する所以なり。 昭和二年十月一日 子爵渋沢栄一識 ○本書ノ概要左ノ如シ。 菊判・並製 和文 十八頁。目次一頁。緒言二頁。 英文 十九頁。 目次(和文。英文目次ハ付ケズ) タウンセンド・ハリス君肖像 巻頭写真 記念碑表面 同 同裏面 同 修理前の玉泉寺、修理成れる玉泉寺 同 緒言 - 第48巻 p.40 -ページ画像 碑面英文意訳 碑陰の文 日本に於けるハリス君の事蹟 表紙 和文ノ部ヲ本表紙トスレバ裏側表紙(表紙ノ四)ニ英文ヲ以テ左ノ標題ヲ記ス。 THE RECORD OF TOWNSEND HARRIS IN JAPAN
同日の他の記事
1927-10-1 の他のソース・他のエントリ
- 日記1927-10-1一日
一日 (土) 午後二時 米国 大使御出迎の為波止場ニ御出向 午後二半時 玉泉寺ヘ御出向 午後三時 タウンセンド ・ ハリス 氏記念碑除幕式( 伊豆 柿崎 、玉泉寺) 柿崎 、阿波久ニ御一泊
詳細 - 年譜1927-10-1第35巻
是日、玉泉寺修繕落成式、ハリス記念碑除幕式と共に同寺に於て挙行せらる。栄一出席して演説をなす。
詳細 - 年譜1927-10-1第38巻
是日、ハリス記念碑除幕式並に玉泉寺修繕落成式、同寺に於て挙行せらる。栄一臨席して演説をなし、翌二日帰京す。栄一挙式の費用を負担す。
詳細 - 年譜1927-10-1第38巻
是日、玉泉寺修繕落成式、ハリス記念碑除幕式と共に、同寺に於て挙行せらる。栄一出席して演説をなす。
詳細 - 事業1927-10-1日本に於けるタウンゼンド・ハリス君の事蹟 付.ハリス君記念碑除幕式に於けるマクヴェー大使の式辞
是月栄一、アメリカ合衆国人フランク・エー・ヴァンダーリップの著「欧洲ノ将来」を、小林丑三郎監修の下に、弓家七郎に翻訳を依嘱し、竜門社より刊行せしむ。
詳細