渋沢栄一 LOD ビューア
年譜ChronologicalEntryDK460179k

是月十一日栄一歿す。是日葬儀に際し、当協会、幹事姉崎正治の名を以て弔詞を贈る。

日付
1931-11-15(day)
和暦
1931年 (昭和6)
伝記資料 階層
3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 > 1部 社会公共事業 > 6章 学術及ビ其他ノ文化事業 > 1節 学術 > 7款 帰一協会
第46巻
p.716-p.717

伝記資料 本文

この綱文の根拠となる出典史料の本文 1 件

  1. 竜門雑誌 第五一八号・第二〇―三二頁 昭和六年一一月 葬儀○渋沢栄一

    第46巻 p.716-717

    竜門雑誌  第五一八号・第二〇―三二頁 昭和六年一一月 葬儀 ○渋沢栄一 十五日○一一月 ○中略 一、青山斎場着棺  午前九時四十分。 一、葬儀開始    午前十時。 一、葬儀終了    午前十一時三十分。 一、告別式     午後一時開始三時終了。 ○中略 また東京市民を代表した永田市長の弔詞、実業界を代表した郷誠之助男の弔詞朗読があり、他の数百に達する弔詞を霊前に供へ、十一時半予定の如く葬儀を終了した。 ○中略 弔詞 ○中略 謹みて青淵渋沢栄一先生の霊前に申す 先生明治維新の後、先づ国民の資生を豊にするの急を思ひて身を実業に投じ給ひしも、常に利と共に義を全うするを主義とし、特に生活の大本を不動の信念に置き、論語教訓の実践を以て自ら心を練り身を修 - 第46巻 p.717 -ページ画像 め、以て経済と道徳と両全の範を示し給へり、明治の末期に及びて、国民思想の帰向に変調萌すを見て、世に先て憂ふる所あり、我等数輩をして人生の根本理想に基きて社会思想の問題を討究するの案を立てしめ給ふ、我等同志は此に思を致し、先生並に故森村翁の奨励誘導を得て、玆に帰一協会を創設し、思想問題に関して傾向を同ふする者を糾合し、先生と共に聊か討議劃策する所あるを得たり 其旨に謂へらく、古より今に至るまで宗旨徳教派を分ち流を樹てゝ蘭菊芳を競ふと雖も、其末に至りては徒に宗派争闘の弊に走り、為に人と人と相背かしめ、国と国と、人種と人種と、宗派感情等の偏見の為に相反目せしむるに至る、其他政治産業教育等各方面の人士往々にして各自の偏執利害に割拠して、社会の融和を妨くる事少なからざる如きも、要するに人生社会の根柢帰趨に対する信念理想を欠くに因らずんはあらず、此を以て国家世界の将来に対して、人生理想の大本を的確に捕へん為には、先づ宗教職業階級国籍を異にしつゝも万徳帰一の信念を抱く者が、共に大処の着眼を失はざらん事を勉め、此の如くにして社会嚮導の和親協力を致すを要す、其数は多からずとも、此の如く思想の交換、信念の討究を盛にし、以て融和帰一の気運を促す事、是れ世界文化の変転に処するの要務にあらずやと、爾来帰一協会は、此趣旨に依つて会員の間に討議を重ね、社会の考慮を求め、又文教当局に対して献策する等、多少の活動をなせしが、青淵先生は常に自ら会合に臨み討議を共にし、我等を誘導奨励し給ひし所少々にあらず、先生が至心世を憂へて世に尽し給ひし熱情、自ら肝腑を披いて人の腹中に措き給ひし誠意、是れ実に本協会の魂となり血となりて我等を活かしめし力なりき、只憾むらくは、近来、先生健康の為め故に会合にその謦咳に接する事少く、且つ先には最も此事業に熱心なりし会員成瀬仁蔵君その他を失ひ、協会の活動旧の如くならざる事玆に幾年、此の如きは独り先生の期待に背くのみならず、又現今の世相事態に鑑みて最も遺憾とする所なり、而して今日世界文化の危機重大なる時に当りて、本会の嚮導者たりし先生を喪ひて、我等は曠野に立つて落日の光を見送るの感に堪えす、然れとも先生の死を送ると共に、先生が長寿の一生を貫いて、人の為世の為に尽し給ひし誠意と事業を鑑として我等自ら発憤し、更に帰一協会将来の発達を劃し以て先生に酬ひ奉る所なかるへからす、嗚呼、人生九十の寿は短しとせす、されど卓見衆を率ひ、至誠人を救ひ、徳望内外に光被する事先生の如きに至りてはその寿を倍加するも尚ほ惜むべき也、而かも先生今や亡し、追慕景仰尽くる所を知らず、別を遺骸に告ぐるに当りて、謹みて霊前に伏して衷状を申す 青淵先生冀くは享け給へ 昭和六年十一月十五日       帰一協会幹事 姉崎正治

IRI:https://shibusawa.or.jp/lod/kobunchrono/entry/DK460179k

同日の他の記事

1931-11-15 の他のソース・他のエントリ