是日、当校創立第十六周年記念式挙行せらる。栄一出席して演説をなす。
- 日付
- 1919-5-27(day)
- 和暦
- 1919年 (大正8)
- 伝記資料 階層
- 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 > 1部 社会公共事業 > 5章 教育 > 3節 其他ノ教育関係 > 13款 財団法人私立高千穂学校
- 巻
- 第45巻
- 頁
- p.524-p.526
伝記資料 本文
この綱文の根拠となる出典史料の本文 7 件
集会日時通知表 大正八年
第45巻 p.524集会日時通知表 大正八年 (渋沢子爵家所蔵) 五月廿六日 月 午后三時 川田鉄弥氏来約(兜町)
渋沢栄一 日記 大正八年
第45巻 p.524渋沢栄一日記 大正八年 (渋沢子爵家所蔵) 五月二十七日 曇 暖 ○上略 三時半新宿ニ抵リ、下車シテ大久保ナル高千穂学校ニ抵リ、紀念会ニ出席シテ一場ノ講演ヲ為シ、夕方帰宿、此夜揮毫ニ努メテ折手本二本ヲ揮灑ス、趙子昂臨摹ヤリ、夜十二時就寝
竜門雑誌 第三七八号・第二一―二三頁 大正八年一一月 ○歳月不待人 青淵先生
第45巻 p.524-525竜門雑誌 第三七八号・第二一―二三頁 大正八年一一月 ○歳月不待人 青淵先生 左に掲載せるは高千穂学校第十六回記念会席上、青淵先生の講演せられたる要旨なり。(編者識) 川田校長、来賓諸君、生徒御一同、本日高千穂学校創立十六周年の記念日に当り、私は玆に御一同に向つて一言する光栄を荷ふものであります。実は小学校の方々の唱歌前にお話を申上ぐる筈でありましたが、用事あつて、八王子に参り、其処を繰上げて只今漸く間にあつた次第であります。プログラムの順序を変へました事を、お詫び申上げます。 私の如き老人が皆様と一緒になると、七十年も若返つた様な気がして私としては非常に嬉しい心地がいたします。今から十六年前と云へば恰も日露戦争の頃で、大変な昔の様で、まだお母さんのお胎にもなかつた者が学校に通ふ様になり、言葉一つ分らなかつた方々が中学校に通ふと云ふ工合で、お若い皆様に取つては、此の十六年は余程長いのでありますけれども、私共老人にとつてはほんの束の間の事です。日露戦争当時も矢張り老人で、戦争の当時微力ながら働いた時など、あの老人が何を為るかと笑はれた者が、十六年後の今日も、依然として老人と云ふの外はありません。月日は其人によりて大なる変化を為 - 第45巻 p.525 -ページ画像 すものであります。高千穂学校のみが、此の十六年間の変化を受けたかと申すに、そうでなく、実に世界全体が此の年月の為に大変化を与へられたのであります。日露戦争当時は、世界は均しく日本を呪つた彼のグルーム氏の「戦争と経済」といふ著書は、大に注意すべきもので、其序文の中には、日本に対し甚だ失礼な言があります。即ち日本が露西亜に向ふは、恰も蟷螂の斧か、馬前に鳴く蛙と云ふやうな言葉を以て日本を評したもので、之を見て、当時の老人共は非常に憤慨した事でありましたが、其の日露戦争は名誉ある講和に局を結びました事は十数年の昔の事、即ち其大変化に驚かざるを得ないのであります歳月は更に変化を与へて、今日の有様は如何でありますか、過る大正三年には、大乱欧洲に起りました。生徒諸子の中で、前の方の方々は只評判丈を聞かれたのでありませうが、吾々は尠らず心胆を砕いたのです、然るに、遂に邪は正に勝たず、独逸の誤れる軍国主義は正義の前に敗れ、去年十一月十一日、休戦の約が成立つた訳で、此の五・六年の変化、亦極めて大なるものであります。曾ては馬と思ひ竜車と自負した露西亜は、則ち国亡びて山河ありの感を与へ、狂暴の独逸は如何。ウヰルヘルム皇帝は和蘭に蒙塵して、哀れ英雄の末路を語る有様であります。此等は皆年月の齎らす変化で、即ち十六年の歳月は、世界の上に夥しき変化を与へて居るのであります。而して我が高千穂学校も之に漏れず、十六年の間に順当に発展し、今や幼稚園・小学校・中学校・高等商業学校の四教育機関を有する次第であります。夫故に大なるも、小なるも、相省みて、歳月を大切にせねばならぬ事であります。 今日私の申上ぐる事は、年月の貴重なるは、老幼の差なしと云ふに在ります。而して老人なる私が、幼年の皆様に之を申上ぐるのは、一層意味深きことと思ひます。老人の私が、此の十六年を斯の如く感ずるのは諸君に於ても亦同様で、右に申述べました変化を考へますれば年月の如何に大切なるか、お分りの事でありませう。 朱子偶成の詩に 少年易老学難成 一寸光陰不可軽 未覚池塘春草夢 階前梧葉已秋声 と、如何にも時の大切なる事を誨へ、又陶淵明の詩には 盛年不重来 一日難再晨 及時当勉励 歳月不待人 と、即ち此等の詩は共に年月の疎かにすべからざる事を戒めたものであります。 今日本校十六周年記念の式に臨んで、老人の私が、過去十六年間を回顧して、諸君に歳月の貴重なることをお述べするのは、老人として最も相応しい事と存じ、之を切にお勧めしたい為に一言いたしたる次第であります。
集会日時通知表 大正八年
第45巻 p.525集会日時通知表 大正八年 (渋沢子爵家所蔵) 六月四日 水 午後四時 川田鉄弥・大井久司氏御会見(兜町) - 第45巻 p.526 -ページ画像
渋沢栄一 日記 大正八年
第45巻 p.526渋沢栄一日記 大正八年 (渋沢子爵家所蔵) 六月十一日 曇又雨 冷 ○上略 川田鉄弥氏来リ、高千穂学校寄附金ノ事ヲ談ス○下略
集会日時通知表 大正八年
第45巻 p.526集会日時通知表 大正八年 (渋沢子爵家所蔵) 六月十三日 金 午後二時 小池国三・川田鉄弥両氏ト御会見(銀行クラブ) ○中略。 七月十七日 木 午後四時半 川田鉄弥氏ト銀行クラブニテ御見会ノ約 ○中略。 八月三十日 土 午后一時 川田鉄弥氏来約(兜町) ○中略。 九月廿三日 火 午後一時 川田鉄弥氏来約(兜町) ○中略。 拾月十七日 金 午前十一時 川田鉄弥・大家七平両氏兜町ニ来約 ○中略。 十一月七日 金 午後四時 川田鉄弥氏来約
集会日時通知表 大正九年
第45巻 p.526集会日時通知表 大正九年 (渋沢子爵家所蔵) 二月十五日 日 午前八時 川田鉄弥氏来約(飛鳥山邸) ○中略。 十一月七日 日 午前九時 渋沢子陞爵祝賀品贈呈後運動会(高千穂高等商業学校) ○御引籠リ
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- 日記1919-5-27五月二十七日
五月二十七日 火 曇 暖 午前六時半 起床、入浴、朝飧ヲ畢リテ 八王寺 町人 草野 政一 氏《(子)》ノ来訪ニ接ス、蓋シ今日同氏ノ請求ニ応シテ 八王寺町 ニ開カルヽ集会ニ赴クニ付迎トシテ来レルナリ、 増田 ニ電話ヲ通シテフリーメンソン《(ー)》原書ヲ調査検出セシム、 午前八時半 家ヲ出テ 九時十八分 新宿 発ノ汽車ニ搭シテ 八王寺 ニ抵ル、 草野 氏同行ス、 東京 府技師 早崎 氏モ同車ス、 十時半 頃 八王寺 ニ抵ル、停車場ニ多人数来リ迎フ、案内ニ導カレテ 久保田 氏其他ノ織物工場ヲ一覧ス、後、市内ノ料理店ニ於テ午飧ヲ饗セラル、地方銀行業者ノ接待ナリト云フ、 午後二時 小学校ニテ一場ノ講演ヲ為ス畢テ直ニ 八王寺 ヲ発シ、 三時半 新宿 ニ抵リ下車シテ 大久保 ナル 高千穂学校 ニ抵リ、紀念会ニ出席シテ一場ノ講演ヲ為シ夕方帰宿、此夜、揮毫ニ努メテ折手本二本ヲ揮灑ス、 趙 子昂 ノ臨〓ナリ、夜 十二時 就寝
詳細 - 井深1919-5-27〔大正8年(1919年)5月27日〕
五月二十七日(火) 授業如例。 午後一時、江原、長尾ノ二氏ト共ニ阪谷男爵ヲ訪問シ、日曜学校世界大会後援ノコトニ付交渉シタリ。同男ハ熱心ナル後援者ナリ。 午後五時、横浜ニ赴キ、浩氏ニ事情ヲ打明ケテ協議シタレトモ、別ニ名案モ出ズ。勝治モおとせさんモ其後同席シテ共ニ謀リタレトモ何レモ驚クノミニテ別ニ思案ナシ。兎モ角モ今一応大家ノ診断ヲ乞フコトトナシ、愈事実ナラバ入院ノ手続ヲ履ムベキコトヲ決ス。
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