是日、イギリス国人アーサー・アボット、渋沢事務所に栄一を訪ふ。
- 日付
- 1926-10-14(day)
- 和暦
- 1926年 (大正15)
- 伝記資料 階層
- 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 > 1部 社会公共事業 > 3章 国際親善 > 5節 外賓接待 > 15款 其他ノ外国人接待
- 巻
- 第39巻
- 頁
- p.403-p.404
伝記資料 本文
この綱文の根拠となる出典史料の本文 1 件
竜門雑誌 第四六〇号・第七五―七七頁 昭和二年一月 アボツト氏の来訪
第39巻 p.403-404竜門雑誌 第四六〇号・第七五―七七頁 昭和二年一月 アボツト氏の来訪 英国人にして長く南米ブラジルに在りし、アーサー・アボツト氏は初めて日本を訪れたとて、藤田敏郎氏(領事たりし人)同伴、十月十四日午後三時、事務所に来訪された。 ア氏「日本の大実業家たる子爵にお目にかゝることが出来て愉快に堪へません。又日本の進歩せる有様を見、震災後復興の速かさを感心し、且つは日本人の企業心が旺盛であるさまを実際に知りました」 子爵「東京の街は地震前も立派ではありませんでしたが、地震の被害は誠にひどかつたのであります。で今日道路は稍々直りましたが復興は遅々として進みませぬ。此次にお出の時には今少し家も建ちませう。只今はどう云ふ風になつて居るか、私が直接それらの - 第39巻 p.404 -ページ画像 事に関係する地位にありませぬから、よく判りません。只日本のいくぢの無いのを遺憾に思つて居ります」 ア氏「サンパウロが恰度東京を思はせる様な広い処で、地形が頗る似て居ります。但しサンパウロには何等の歴史がありません」 子爵「東京も江戸の有様を残すことは困難で全然改革せられると思ひますが、中々町の整理は容易な仕事でないと思つて居ります。然るにあの地震がありましたので真の改革が出来るでありませう。私は傍観者であるが、市長や復興局長官等は苦心して居ります。金があつても難しい仕事でありますのに金が無くては尚駄目であります」 ア氏「経済上の問題になりますが、此復興の金はどうして造りますか」 子爵「公債でも発行して支弁するのでありませうが、復興局でもまだよく定まつて居りません。金は沢山必要でありますから、復興建築会社を起して金を貸し家を建てることになつて居ります。これがよく働けば市民は金を借りて復興出来ることになりませう」 ア氏「復興するに就ては地価が騰貴する様な憂はありませんか」 子爵「建てる人は地所を最初から持つて居ります。即ち自分で買入れたか、借地の権利を持つとか、或は新しく買入れる人には高いこともありませうが、今日では地価が高くなつたと云ふことも特別に聞きませぬ。詳しい事は調べて居りませんが、土地が高くて困難すると云ふやうなことはないと思ひます」 ア氏「私は今日は通り一ぺんの観光者でありまして、事業の関係は何等ありませぬから、誤解の無い様に願ひます。リオデヂヤネロの街は道が狭かつたが、大通りを造る時、各市民に「家の価格を書き出せ、税金を賦課する参考にするのだから」と申しました処、各人は出来るだけ安価に書き出しましたので、之に基いて役所の方では其の値段で直ちに買取り、其処へ大通りを造りました」 子爵「街の改造は中々困難であります。六十年以前私は巴里へ参りましたが、後再び今から廿五年前に行きました。処がグランドオペラの処が昔のまゝでありましたから、都会の道路の改修は中々困難だと思ひました、ロンドンも困難でありませう」 藤田「ニユーヨークなどの様に新しい街は別ですが、古い町は中々難しいでせう」 子爵「やはり私はロンドンへ六十年前と廿五年前と二度参りました」 ア氏「只今ではロンドンの街はすつかり変つて居りますから、子爵のお見覚へはありますまい」 ア氏「尚一言申上げますのは、英国の殖民地で日本の移民に就て多少とも困難な事情があればそれは印度の関係でありまして、其処に印度人を入れねばならぬからであります。此問題は国家的でありまして国際的ではありませんが御了解を願ひます」 子爵「一層日本を真の友達として下さる事を希望致します」 ア氏「それではこれで失礼致します。色々お話し下さいました事を感謝致します」
同日の他の記事
1926-10-14 の他のソース・他のエントリ
- 日記1926-10-14十四日
十四日 (木) 午前八半時 港川 神社宮司来約《( 湊川 神社)》( アスカ山 ) 午前九時 米人アーサー・ヒユーストン氏来約( アスカ山邸 ) 午後三時 御出勤 午后三時 アボツト 氏来約ノ予定(事ム所) 午后三半時 中村 安得氏(実業公論記者)来 事ム所 午后六時 森村 男爵催ニテ 御木本 送別会《(氏脱)》( 日本 貿易協会)
詳細 - 年譜1926-10-14第35巻
是日、アメリカ合衆国インターナショナル通信社社員サーサル・ヒューストン飛鳥山邸に栄一を訪問し、合衆国排日問題を談ず。
詳細 - 年譜1926-10-14第39巻
是日、アメリカ合衆国インターナショナル通信社社員ルーサー・エー・ヒューストン、飛鳥山邸に栄一を訪ふ。
詳細 - 年譜1926-10-14第40巻
是日栄一、アメリカ合衆国人トーマス・エー・エディソンに御木本幸吉の紹介状を発す。
詳細 - 年譜1926-10-14第54巻
是日、日本貿易協会に於て、森村市左衛門主催の御木本幸吉渡米送別会開かる。栄一出席して送別の辞を述ぶ。尚トマス・エー・エディソン其他宛に紹介状を発す。昭和二年九月二十七日、同協会主催の帰国歓迎会開かれ、栄一出席す。
詳細 - 事業1926-10-14御木本真珠
是日、日本貿易協会に於て、森村市左衛門主催の御木本幸吉渡米送別会開かる。栄一出席して送別の辞を述ぶ。尚トマス・エー・エディソン其他宛に紹介状を発す。昭和二年九月二十七日、同協会主催の帰国歓迎会開かれ、栄一出席す。
詳細 - 井深1926-10-14〔大正15年(1926年)10月14日〕
十月十四日(木) 晴 一昨夜来ノシヤクリ未タ全止マズ。依テ午前ハ在宅シタリ。 真澄ヨリ詳細ノ書状来ル。船中ニテ眼充血シテ困難シタル由、但上陸ノ際ハ無事通過シタル由、税関二弗余ニテ済タル由、オベルリンハグラジエートコールスニ編入セラレ、奨学金ニ百弗ヲ貰フコトト成タル由ナリ。 咽喉悪シキ為、午前ハ在宅休養ス。 午後、キリスト教聯盟総会ニ出席、閉会ノ礼辞司会ヲ為シ、一言今昔ノ感ヲ述ベ感謝ト希望トヲ以テ勇進スベキコトヲ奨励ス。 会後、常務委員会ニ於テ固辞シタルニモ拘ラズ委員長ニ選挙セラル。不得止承諾シタリ。
詳細