是日、当会館設立協議会、丸の内東京銀行倶楽部に開かれ、栄一出席す。
- 日付
- 1921-6-3(day)
- 和暦
- 1921年 (大正10)
- 伝記資料 階層
- 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 > 1部 社会公共事業 > 3章 国際親善 > 3節 国際団体及ビ親善事業 > 12款 財団法人日仏会館
- 巻
- 第36巻
- 頁
- p.267-p.268
伝記資料 本文
この綱文の根拠となる出典史料の本文 3 件
集会日時通知表 大正一〇年
第36巻 p.267(渋沢子爵家所蔵) 六月三日 金 午後五時 仏蘭西会館設立ノ件(銀行クラブ)
中外商業新報 第一二六五〇号 大正一〇年六月四日 文化の上の日仏両国の握手、仏国政府は既に其資金三十万法を予算に計上したとて、日本側も昨夜協議会
第36巻 p.267-268中外商業新報 第一二六五〇号 大正一〇年六月四日 文化の上の日仏両国の握手、仏国政府は既に其資金三十万法を予算に計上したとて、日本側も昨夜協議会 去る二日、外務省への着電によると仏国政府は日仏の文化交換の為め資金として三十万フランを予算に計上した旨を報じて来たので、一昨年来の懸案であつた 此問題 も稍具体的な色彩を帯びて来た、其処で従来日仏文化の為に斡旋して居た、渋沢子爵・姉崎文学博士・古市工学博士・松井○フランス共和国駐箚帝国特命全権大使松井慶四郎 杉山・木島各大公使、杉村外務省参事官等は、三日夜丸の内銀行集会所に会合して、日本側の実行方法に就て数時間協議する処があつた、右に関して姉崎博士は語る 「日本文化を彼地に宣伝することも大なる事業であるが、特に 我邦に 於ては今日迄、余り仏国の文化が紹介されて居ないやうであるのは甚だ遺憾である、幸ひ仏蘭西側からも其のやうな意嚮を漏らして来たので、吾々は此事業が遂行されて、今迄の欠陥を補はれることを切実に望んで居る次第で、今夕も色々と打合をやつたのであるが - 第36巻 p.268 -ページ画像 何分にも外務省着電の電文が余り簡単過ぎて、彼方が何んな方法を執るのか一向に判らない為め、兎も角一応詳細な 意見を 問ひ合せた上でないと、吾々の具体的実行方法も定めることが出来ない、今夕会合された多数の意見としては、仏国側では仏蘭西に日本会館を設けて、此方から行つた学者の講演を紹介すると、それと同様に日本は日本に仏蘭西会館を建てゝ、仏国から送つて来る学者の講演を聞いたり、又必要な書籍を蒐集して仏国文化を紹介する、即ちお互に文化の交換をしたいと思つて居るが、這麼事業は彼我の意見が余り 懸離れ ては面白くないから、実行方法もお互によく調和されるやうにしたい考へである、資金に就ても仏国は三十万フランと云つて居るが、之も大略な数字で確な処は判明しない、又一時に夫だけ支出するのか年賦で補助するのかも調査する必要がある、若し仏国でも政府が基金を提供するとすれば、吾々も政府の補助を仰がなければなるまい」云々 ○右ノ記事「竜門雑誌」第三九八号(大正一〇年七月)ニ転載セラレタリ。
〔参考〕集会日時通知表 大正一〇年
第36巻 p.268集会日時通知表 大正一〇年(渋沢子爵家所蔵) 七月四日 月 正午 仏蘭西会館ノ件(銀行クラブ)