是日栄一、当会主催の職業紹介所員招宴に出席す。
- 日付
- 1920-1-9(day)
- 和暦
- 1920年 (大正9)
- 伝記資料 階層
- 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 > 1部 社会公共事業 > 2章 労資協調及ビ融和事業 > 1節 労資協調 > 2款 財団法人協調会
- 巻
- 第31巻
- 頁
- p.493-p.496
伝記資料 本文
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渋沢栄一 日記 大正九年
第31巻 p.494渋沢栄一 日記 大正九年 (渋沢子爵家所蔵) 一月四日 晴 寒 ○上略 早稲田大隈侯爵ヲ訪ヘ、協調会顧問ノ事ヲ依頼シ、且時事ヲ談話ス、番町ニ抵リ加藤子爵(高明氏)ヲ訪ヘ、同シク協調会顧問ノ事ヲ依頼ス、両氏共ニ快ク之ヲ諾ス ○下略 一月五日 晴 寒 ○上略 午後二時ヨリ協調会理事諸事来会《(氏)》シテ、本会ノ経営ニ付要件ヲ談ス ○下略 ○中略。 一月九日 晴 寒 ○上略 海上ビルジングニ於テ協調会主催ノ職業紹介所員ノ宴会ニ出席シ一場ノ挨拶ヲ為ス ○下略 ○栄一ノ挨拶筆記ヲ欠ク。 ○中略。 一月十二日 雨又曇 寒 ○上略 午前九時事務所ニ抵リ ○中略 谷口留五郎氏来リ、協調会ノ事ヲ談ス ○下略 ○中略。 一月二十二日 曇 寒気ハ甚シカラス ○上略 林平馬氏来リ、協調会従事ノ事ヲ請願ス ○下略
集会日時通知表 大正九年
第31巻 p.494集会日時通知表 大正九年 (渋沢子爵家所蔵) 一月九日(金) 午后五時 協調会ヨリ御案内(ビルデイング内中央亭)
〔参考〕日本労働年鑑 大正拾年版 大原社会問題研究所編 第一六六頁 大正一〇年七月刊 職業紹介事業に関する協議会
第31巻 p.494-495日本労働年鑑 大正拾年版 大原社会問題研究所編 第一六六頁 大正一〇年七月刊 職業紹介事業に関する協議会 内務省に於ける職業紹介事業協議会は、一月九日・十日の両日同省会議堂に於て開催、各府県主任官並に東京・京都・大阪・横浜・名古屋・神戸の六大都市に於ける公立並に公益職業紹介所主任、及協調会より桑田・松岡両博士、谷口総務部長、内務省より添田地方局長・田子社会課長等出席 協議事項 一、紹介所相互(他地方をも含む)の聯絡統一の方法 二、紹介所と他の社会事業との聯絡 三、紹介所と官公署との聯絡 四、紹介所と求職者・求人者との聯絡 五、紹介手数料徴収の可否、若し徴収するとせば其額 六、身元保証人の要否 七、職業紹介営業者との関係 八、求職申込又は求人申込夥多の場合に於ける措置 - 第31巻 p.495 -ページ画像 九、事務所弁 (一) 紹介の方法 (二) 就職通知 (三) 報告及統計の作成 十、希望事項
〔参考〕竜門雑誌 第三八三号・第四七―四八頁 大正九年四月 ○職業紹介所の統一案
第31巻 p.495竜門雑誌 第三八三号・第四七―四八頁 大正九年四月 ○職業紹介所の統一案 青淵先生の副会長たる協調会に於ては、三月十七日午後青淵先生を始め桑田・松岡・谷口諸氏会合協議する所ありし由なるが、之に就て谷口常務理事の談として新聞に掲載せられたるは、左の如くなりき。 『時節柄職業紹介の統一を図り、以て其の事業を完うする事は、社会政策上極めて重要な事である、本会は政府といろいろ相談の結果此事業を本会に於て引受くべく、既に案を提出して置いたので、近く勅令を以て発布されやうと思ふ、愈事業を始める事になれば、先づ地方長官を経て全国の慈善団体並に公共団体経営に係る職業紹介所(桂庵を除く)に対して事業の精神を徹底せしめ、尚ほ各工場とも聯絡をとり、総ての事項を残らず本会で統轄するのであるが、由来職業組合は地方出稼人の口入れと工場相互の為めに多数の労働者の融通との二種あるが、後者は例へば大阪の会社が潰れて多数職工が路頭に迷つた場合に、東京で職工の必要な会社へ紹介するに在り此の行り方は余り日本に例が無いが、今後財界の変動に依つて続々ある事と思ふ』
〔参考〕竜門雑誌 第三八四号・第五九頁 大正九年五月 ○失業問題に就て
第31巻 p.495-496竜門雑誌 第三八四号・第五九頁 大正九年五月 ○失業問題に就て 経済界の不景気に伴ふて、必然起り来るものは労働者の失業問題なるが、右に就き青淵先生は左の如く語られたる趣、四月二十一日東京毎日新聞は報ぜり。 論語には衣食足つて礼節を知ると云ふ事が有りますが、国民を健全に発達せしめ、其思想を穏和ならしむるには、必ず衣食をして足らしめる様にせねばならぬとは、孔子の時代から今も変らぬ真理であつて、人民の上に立つ者や民衆を愛する者が、必ず心に留て置かねばならぬ事である。社会の危機、即ち暴動行為だとか、労働問題だとか、社会生活を脅かす事件は、其根本に遡れば皆パンの問題であると思ふ。人間の慾望の中では食ふ事程強烈な要求は無いのである一つ食べないとなると、今迄臆病であつた者も自暴自棄力が起り、弱い者も死物狂になる。私は我同胞中に一人でも失業者があつて苦しむかと思ふと、実に同情の涙が湧き出るのである。私は老後を実に国家の為に一身を捧げて尽す覚悟であるが、若しや失業者が多くなれば、身命をなげうつて此の救済に尽す考へである。其救済の方法としては、先づ英米にやつてゐる官立の職業紹介所を設立し、労働者の不足してる部分へ余つてゐる方から送るのである。又之と同じく重要な事は失業保険制度を起す事である。かくして尚当面の急を救ふ事が出来ぬ時は、諸種の土木事業を起すが必要です。土木事 - 第31巻 p.496 -ページ画像 業とは、道路の改良、住宅問題の徹底的改良である。私は労資協調会の全力をあげて此問題を解決し、以て国家の為めに尽したいと思ふ云々。
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